やけあ〜と(Yake-art)

Yukko




第4回 < 鎮火後 >



もうすっかり陽も昇り、周りは何事もなかったかの様

にいつもと変わらぬ人々の生活が始まっている。

あれは夢であってほしい…と期待薄で振り返るも家は

やはり焼けた状態のまま…。

分かってはいるけれど、ちょっとガッカリ。

気候は冬で寒いし、正月を前に何と言う悲惨なこと…

と自分自身を哀れんでみるものの、大変な事が起きて

しまったと言う興奮状態が冷めず、むしろいつもより

何だか活性化している私…。

火事は、その原因を起こした私の2部屋を全焼させ、

でも母屋はぎりぎりセーフ、見逃してくれました。

どちらも全焼だったら…多分、

興奮状態と言うより放心状態になってたと思います。


燃えた部屋にあった物は何ひとつ取り出すことが出来

ませんでした。携帯電話もそのひとつ。

母屋の電話から友人にかけようとして…『!』。

自分の家と携帯、それと会社の番号しか記憶に無いの

でした…。

携帯をまだ持ってない頃、ある人が言ってた事を思い

出しました。その人の携帯が壊れて使えず、

「携帯が無いと凄く不安だし、何も出来ない…」

と精神的にとても落ち着かない様子でした。

『何と大袈裟な!』

とその頃は思いましたが、今や私も同じ心境でした。

名刺や住所録、以前貰った年賀状等で調べようとして

も燃えて無いし、どこにも電話出来ないのです。

火事になる2日前、年賀状に宛名書きと短い挨拶文を

150枚程書いていました。その時1人の友人の住所

がとても短かかったので覚えており104で電話番号

を調べました。火事になる前日、鍋パーティに招待し

てくれたあの友人。彼女に共通の友人2〜3人の番号

を聞く事が出来、その人たちに更に情報を貰い、数人

に火事が起きてしまった事を話しました。

それと同時に、

燃えてしまったクレジットカードの会社と

燃えてしまった貯金通帳の銀行と

燃えてしまった生命保険証書の会社へ電話を。

四苦八苦で番号を調べ、事情を話し再手続きに関して

の事を済ませたら少し心が安定しました。

最小限、それぞれの会社名さえ覚えていれば全く問題

なし、心配無用と思いました。

銀行&郵便局の通帳等は全て新品になり、また古い分

で訳が分からなくなってる幾つか(合計しても大した

額じゃないですが…)をまとめてくれ、把握しやすく

なりました。

バッグに入れてた財布、部屋に置いてた何十万円(ボ

ーナス、現金で貰いたて故)かの現金も燃えてしまっ

た私にとって、年末でもあるし、クレジットカードは

必需品でした。あるカード会社は、

「すぐ手配します!」と何とも頼もしいお返事。

その言葉通り2日後には届きました。でもそれ以外の

ものは新年になってからしか無理と…。

ある会社などはどうも忘れていた様で、新年も2週間

以上経ってから、しかも催促後にやっと届きました。

前者は「V」、後者は「J」で始まる頭文字で〜す。

その後殆ど前者を利用しているのは言うまでもありま

せん。


母屋には、長年使わず忘れ去られた昔の持ち物が捨て

ずに置いてありました。

服などは、文句さえ言わねば十分にありました。

ただ昔と違い、若くないし…、何より長年のグータラ

生活で、運動量より食する量が上回っていた故、身体

のあちこちにいらないモノが引力に勝てない状態で沢

山くっついている…。

何とか着られても見苦しいし、息も苦しい。

外出するためには、サイズの合った服とあと、下着類

と化粧品が必要でした。



ひとしきり電話もかけ終えたら、もうひとつの身体の

自然現象が…。

気がつけばもうお昼。そう言えば、朝から何も食べて

なかった…。

食べる物は沢山ありました。近所の方たちが朝食にと

サンドイッチやおにぎりをくださり、昼食にはちらし

寿司、また夕食も作って持って来てくださり、何だか

いつもよりずっと豪勢でした。

食べ物だけでなく、見舞金等も早速にくださり、本当

に有難く思いました。凄く助かりましたし、何よりも

私たちの事を気にかけてくださるその気持ちがとても

嬉しかったのです!


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