奮闘記 in KOLKATA




先は見えないけれど
“今気掛かりな患者さんが居て”コルカタを離れるのはつらいと前回書いた。
たった10日間の日本への帰省だったのに、不安は的中した。
“元の木阿弥”とはいかないまでも、三歩前進二歩後退だった。
糞尿まみれで動けずに駅にいたのを発見され
運び込まれた男性の食事療法がまたやり直し。
話せず名前も年齢も不詳の彼、6月に来た頃、頭に手術痕があった。
シスターの推測では、脳梗塞か何かで倒れ、
手術は受けたものの右半身不随と言語障害が残り、
家族から見捨てられたのではないか、恐らく記憶も失くしているだろうと。
立派なあごひげを貯えた風貌から、
生まれは上位カーストだろうとは皆の見解だった。
頭ジラミもいっぱいであったのに、
シスターは髪の毛も髭も剃らないでやって欲しいと指示。
もしも記憶が戻った時のために、
彼の尊厳を失わせたくないというせめてもの温情であった。
黄色い白目が気になり病院で検査を受けると、
肝機能障害による黄疸、そして糖尿病が判明。
ここでシスターは砂糖・油・スパイス・肉類のカットを厳命した。
間借りしているプレムダンのキッチンでは対応できず、
私が作り始めたのが8月下旬。友人にメールで助言を得ながら、
毎晩自分の台所で試行錯誤を繰り返した。
野菜を多く、蛋白質は豆類で、味付けはヘルシーシチューの素や醤油、レモンで。
定番は色とりどりの野菜ペースト、人参・ほうれん草・ビーツを
少しのふかしポテトとともにマッシュする。
圧力鍋や電子レンジ、ミキサーが強力な助っ人となり、
サラダやフルーツ、煮豆などと合わせ4〜5品が一時間程度で作れるようになった。
保冷バッグで毎日持ち込み、食事時には大皿料理風に盛り付けにも工夫する。
ペースト類は少しのパンやチャパティに厚く載せて。
ほぼ完食してくれたのだが、苦瓜だけはどうしても騙せなかった。
彼への特別扱いが気にはなったが、
他の患者も事情を呑み込んでくれてほほえましく見守ってくれた。
誰彼となく「ボロバッチャ、チョトマー」(でかい赤ちゃん、小さいママ)と呼んで。
やがて体重も減り、尿の色もきれいになり、目の黄味も薄くなった。
あー、うー、てーといったsoundと目で意思表示もし始めた。

ところが、私が留守の間に食事管理ができず、
お菓子も食べさせ、野菜料理も僅かだったと。
居ないことを怒っていたらしく、
戻ってしばらくは恐ろしい形相で私を拒否していた。
今ようやく収まり、再開した特別食も食べてくれるようにはなった。
肝機能や糖尿病が改善されると、
いよいよ機能回復訓練へのリハビリを急がねばならない。
果たして言語が戻るのか、記憶が取り戻せるのか。
万が一最善の回復があったとしても、
見放したのであろう家族の元へは恐らく戻れない。
長い生活習慣や、時折見せる激しい気性、
結局は彼自身が招いた「今」なのである。
ある時、車椅子で敷地内を散歩した際、
マザー・テレサの像の前で止めて「マザー・テレサだよ」と話しかけると、
左手を胸に当てて祈る仕草をした。
倒れる前からマザーのことを知っていて、
今自分がマザーの施設に居ることを承知しているのか?
ますます彼の過去が気になるものの、知るすべは現在ない。
我々は、出会ってしまった彼を見捨てるわけにはいかない。

街はまたまたざわめいて
私には非日常のように思える街の華やかなざわめき、
富と幸運の女神”ラクシュミー”を祀る”火の祭り”ディワリが、
今年は10月26日。ドゥルガ・プジャに続いての祭り月である。
パンダル(仮設神殿)が又そこここに建ち、家々は豆電球で飾られ、
家じゅうを大掃除し、知り合いやメイドへのギフトのスイート類をどっさり買い込む。
当日は深夜まで花火や爆竹がとどろき、硫黄の霞に包まれ、
朝の路上には喧噪のあとの燃えカスが散乱するのである。

ディワリを控えた街の様子を写真で。




コルカタ最大のショッピングモールも光の飾りつけと、
車やAV機器のデモ販売で人を呼び



メイドや子供、知り合いに贈る
ディワリギフトを買いに人々は繰り出し



富と幸運をもたらすという
メヘンディ(ヘナで肌に模様を描く)でお洒落し



花火露天商はこの時とばかりに高い花火や爆竹む稼ぎ



低カーストのドラマー(太鼓叩き)も練習に余念なく




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