奮闘記 in KOLKATA




束の間、日本
6月16日にコルカタを発ち、東京のホテルに3泊し会議等終えてとんぼ返り、
ビジネスマンなみのスケジュールだった。
レインボー・ホームの子供たちを財政支援している
日本のNPOの総会に出席するのが目的であったため、京都には帰らず。
ホテルのTVで頻繁に取り上げていた“放射能ホットスポット”のニュースに、
改めて原発の怖さを思い知った。
起きてしまったことの収束とこれからの施策、長い長い闘いなのだろう。

夜中に着いたコルカタ国際空港では、
Taxiカウンターで「今日はドライバーのストで車ないよ」と素っ気ない返事。
外に出ると案の定、白タクが待ち構えていて3倍の値段を吹っかけてくる。
いきなりの“welcome 洗礼”にめげずウロウロしていると、
少しのアップで行ってやるよという良心的なドライバーに出くわす。
やれやれ、時間はかかったが無事部屋に戻れた。




5〜7月がマンゴー月 強烈な太陽ほ浴びて育つほど甘さは増す


すっかり雨期の空気だ。生暖かいラップで身体をくるまれて、
肌にへばりつく湿気が抜けないような、そんな感じ。
6月から9月までで年間降水量の約8割が降るという、長い。
鬱陶しいと思えば、それだけで身体も病んでくる。
雨量の多寡が農業に影響して経済を左右するインドで、
母なる大地を潤す恵みの雨。
たとえ道が川になろうと、サリーの裾が汚水に浸かろうと、疫病が流行ろうと、
土地の人々は当たり前に受け容れる。
週に一度でいいから陽が燦々と降り注いでくれたら、私は幸せになれる、きっと。
路上暮らしの人々は大変だ。
塀から斜めに覆いレンガで止めただけのビニールでは横殴りの雨が防げない。
野良犬も僅かのひさしの下に逃れている。




この中に夫婦と子供3人。子供が大きくなり最近ブルーのを増やした


今、私の路友(みちとも)“ゴン太”(勝手につけた名)は雨にもめげず育ち盛り。
毎日プレムダンへの行き帰りに通る路上で、
一人暮らしの爺ちゃんと一緒に居た野良犬夫婦に生まれた子犬である。
5匹生まれたのだが、一匹ずつ居なくなり3週間後には2匹に。



生まれて1週間の野良犬の赤ちゃん、
レンガの囲いはご主人さま・爺ちゃんの愛情

3週間後二匹に、奥はグータラ父ちゃん


このうち母親似の黒犬がなかなかの愛敬もの。
ガレージの車の下がお気に入りで寝ているのだが、
いつもワンッと声をかけると奥から尻尾ふりふり飛んできて
私の足にじゃれつくようになった。
エサをやるでもないのに、毎日行きと帰り2回の挨拶ぶりは変わらない。
無理やり押し返さないと歩き始めた私にずっとついてくることもある。
ゴン太に言わせれば「あんたが呼んだじゃないか」となろう。
そう、黙ってやり過ごせばいいのだが、つい声をかけてしまう。
この光景、近所の人は笑って見ている。
母親も、グータラ父ちゃんも全く無視しているのに、このゴン太だけはやたら可愛い。
白黒ぶちも居なくなり、残ったのはゴン太だけ。
事故、自然死、誰かが拾って行く、色々だ。
野良犬の子がどんなふうに親から巣立つのか見届けたいが、
会えなくなるのは何とも寂しい。




生後50日、とうとうゴン太だけに


さて、カリガート in プレムダン、たった5日間の留守なのに、
患者さんの様変わりに驚いた。
古参が数人他の施設に移され、重症の患者さんが男女で6人増え、
今日も運び込まれた婆ちゃんがもう息絶えていた。
酷暑期のツケが今バタバタと回ってきたかのようである。
臨月のように腹水の溜まったピランティは病院で水を抜いてもらっているが、
原因疾患の治療までは無理なため、恐らく戻って来ても治癒は難しい。
妊娠6ヶ月のカルポナは、夫の暴力を見かねて
母親が貧しいビハール州から連れて来たものの、足の創傷がひどくカリガートへ。
無事赤ちゃんを授かっても、孤児の家・シシュババン行きになろうとシスター。
少し前には、20歳すぎの男性が二人続けて、来てすぐに逝った。
多分ドラッグで身体がボロボロになったのだろう、
ナースシスターは厳しい表情で憂えていた。
「何でこの若さで、ドラッグで、命を落とさなきゃならないの……」
飢えと不安を紛らすために、安くて簡単に手に入るドラッグに、
貧しい人々は手を出し染まってしまう。
この現実、ほんとにいつ変るのだろう。



▲このページのTOPへ