奮闘記 in KOLKATA




「変化」への期待に応えられるか? ママタ党首
2011年5月13日は西ベンガル州にとって第二の独立記念日となった。
34年続いた共産政権が、州議会選挙で大敗を喫し、
州の首相職を草の根会議派を率いるママタ・バナジーに明け渡したのだ。
ママタ氏曰く“腐敗と暴力行為を一掃してよき民主主義を!”

4月27日の選挙投票日から、日本総領事館からは3度も注意喚起のメールが届いていた。
「政権交代が予想され、政党支持者間の抗争がありうるので、
 不急の外出はしないように」と。
“特に注意すべき地域5ヶ所”を挙げて
13日の開票日以降、警察は厳戒態勢をとるとのこと。
毎日通っているプレムダンのあるパークサーカスも要注意とあった。
しかし休むわけにはいかない。
13日は案の定、バスは大幅に間引き運転、ボランティアも大半来ていなかった。
休校にした学校も多かったようだ。
さしたる“危険”も感じずに戻り、キランママにニュースを聞くと、予想以上の共産惨敗。
大きな抗争は街全体でもなかった。
恐らく随分前から現政権の大きな劣勢が取り沙汰されていたせいもあろう。




草の根会議派の大勝に歓喜


この夕方、野次馬の血が騒いだ。
(ママタ女史の家は「死を待つ人の家」(工事中)の近くと聞いている、行きたい)
キランママを誘った。
「ええっ?」 彼女の方が怖がっていた。
「大丈夫だよ、きっと」
歩いて20分ほど、うわさには聞いていたが確かにスラムエリアだ。
草の根会議派のシンボルカラーである緑の色を
顔に塗りたくった地元の人々が歓喜のパレード、
取材マスコミの車が数十台並び、警官の多さも尋常でない。
果てさてママタさんの家はどこ?
人・人・人で見当つかず、聞いて聞いてやっと前まで辿り着く。
女史の姿こそ仰げなかったが、中央政府の鉄道相として名を馳せてからも
あえてこの地を離れない彼女の、全く飾らない姿勢が感じとれた。

歴史を塗り替えた、初めての州女性首相、
この人が本当に“変革”を求めた州民の期待に応えて、
何をどう変えられるのか、今はまだ未知数といえるのかも知れない。
彼女の政策と手腕を評価したというより、他州に遅れをとった経済発展や、
共産党の腐敗・強権姿勢もろもろへのうんざり感からの支持が大勢のようだから。
タタ・モーターズの“ナノカー”製造工場の一件でも、
前政権の強硬な土地収用への反対からとはいえ、
農民・貧困層を動員したかなり過激なやり方で、
結果的には工場を他州へ移させてしまった。
このことからも、草の根会議派に“反産業・開発”イメージがつきまとうのは
私だけではないと思う。

富める者にも貧しき者にも、州民みんなが望む産業再生や経済発展を
積極的に推進しなければ、期待はずれ感・支持者離れはすぐに起こりうる。
そのためには、よきブレーン・冷徹かつ柔軟な参謀がぜひとも必要だろう。
カリスマ性だけで政策運営が首尾よくできる訳では決してないだろうし。
外資導入も、工場建設も大いに進めて、
溢れる失業者にあまねく雇用の機会を与えて欲しいものである。
とまあ、えらそうなことを書き並べたが、私は応援したいのである。
付け刃の施策に終始しませんように、
トレードマークの白いサリーが罵倒の的になりませんように、心から願いつつ。




ママタ女史の家の前で




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