奮闘記 in KOLKATA




11月17日はインドの祝日であった。
私の休日は木曜日だけであり、日曜も祝日も関係なし。
だから、車の少なさや、いつもと違う人々の動きとかで
「あぁー、今日は祝日なのかな」といった具合。

この日は、イスラム教徒・ムスリムにとってラマダン(断食)明けの大祭に次いで
大事な祭り「犠牲祭(イドゥール・ズーハ)」なのだとか。
今、カリガート「死を待つ人の家」が仮住まいしている施設・プレムダンのあるスラム地域は
ムスリムが多く、この朝も、前の通りを通行止めにして男たちが集会をしていた。
ムスリムはこの祭りで神への感謝のしるしに“いけにえ= 肉 = ヤギや牛”を捧げて祈り、
家族・親戚一同で分け合うとともに、普段肉を食べられない貧しい人々にも配るという。
3日間祝うそうで、18日にベンガリーの授業に行くと、
クラスメートでムスリムのブライはちょっと顔を出しただけで、
先生にもご馳走のお裾わけを渡すとすぐに帰って行った。
彼女は、普段の授業時でも、6時すぎになると祈りのために中座する。
温和で優しい女性である。




「犠牲祭」の集会をするムスリムの男たち


インドでは、釈迦の生誕日もX'masも、そしてイスラムの祝い事の日もみな国の祝日である。
国民の8割以上がヒンドゥー教徒でありながら他宗教に寛容であるとの姿勢にも受け取れるが、
この建前はかなり微妙である。
イスラム過激派によるテロ行為への脅威は絶えないし、
ムスリム人口がジワジワ増えていることにヒンドゥーはかなり警戒感を持っていて、
共存はしていても内心は敵対視というのがおおかただろう。
娘や息子がムスリムと分かろうものなら、絶対にNO、血相を変えて大反対する。

イスラム脅威は西欧全体に拡大されていて、インドに限ったことではないのだが、
各地の紛争にイスラムが絡んでいて、非イスラムとの平和的共存が
今や人類全体の課題でもあることを思えば、イスラムとヒンドゥーが互いに影響し合い、
反目し合いながら共存してきたインドは、平和的共存のあり方を問う好事例なのであろう。

4年前の政府調査では、インド国内で15%強を占めるムスリムが受けている
社会的排除と差別は、不可触民(アウト・カースト)へのそれよりも悪いということが
白日の下にさらされた。
「公的サービスの利用、識字率、教育、収入、社会的移動、雇用の点で、
 彼らの生活はその他の人びとよりも悪い。」
現実が数字で明らかにされたのである。
とはいえ、ヒンドゥー自身の階級差別意識も変わらず、最底辺層への視点も変わらず、
貧困救済施策も進展しないのに、ムスリムへの差別が改善されるのは道遠しそのもの。
過激派はヒンドウーにも存在し、
階級差別や偶像崇拝を否定するムスリム内にもジェンダー差別はある。
思想や慣習において両者の類似・相違・曖昧が複雑に混在しているのである。
一人一人を見れば、敬虔な祈りに徹する信仰心篤き人々に思えるのだが、
何のため何を祈るかは随分違いがあるように感じる。
少なくともヒンドゥーが自分と家族のことは祈るが、“他利”を祈るのは希有と言えそう。
独断と偏見かもしれないがそれが実感。

カリガート in プレムダン
プレムダンでの仮住まい約2ヶ月、
カリガート「死を待つ人の家」もようやく落ち着いてきた。
多額の寄付で頭部腫瘍の摘出手術を二度も受けたブディン15歳も
10ヶ月ぶりに満面の笑みで家に帰った。
巨体のナンディタが11/19未明に突然逝き、
男女新患さんが相も変わらずウジ虫だらけの創傷やらで運び込まれ、
イタリア人ナースのテレサは、休憩も休日もなしに淡々と努めている。頭が下がる。
修理中のカリガートでは男女病床の担当区別が厳格であったのに、
ここは自由に助け合えるから、at family な雰囲気でなかなかいい。
プレムダンのインド人ワーカーとも親しくなり、便宜を図ってくれて助かる。
それに、広い敷地内を車椅子で散歩もさせてあげられるし、
元カリガート患者で顔のつぶれたドゥルガや他の婆ちゃん達にも毎日挨拶しに行けるし。
慣れてみれば、いろんな利点も見つけられるものだ。




富と幸運を祈る灯りの祭り「ディワリ」でお祈りをする
レインボー・ホームの子供たち


長期滞在の日本人熟女2人の献身的ボランティア・ワークのお陰もあり、
私は何の不安もなくビザ更新で12月初旬に日本に帰れる。
ベンガリーの試験を突破するのが最大関門ではあるが。
レインボー・ホームの子供たちともしばしお別れ。
子供たちも中間試験でベストを尽くしますように。


▲このページのTOPへ