奮闘記 in KOLKATA




今年も、私には苦手な祭りの代表・ドゥルガプジャが、
太鼓の囃しとともに始まり、5日間の喧騒が10/17に鎮まった。
街中を占拠していた広告看板も撤去された。
最終日の夜、仮設神殿に鎮座していたドゥルガ神が、
鼓笛隊や装飾ネオンの行列とともにフーグリ川に向かい、流される。
ここグプタ家の周辺のムディアリ・クラブは全てのしつらえや演出が贅を極めている。
前の通りを行くその祭列を見降ろしながら、
列に加わっているご夫人の豪華なサリーを眺めながら、
耳をつんざく鼓笛もまるで気にならぬふうに、私は他のことを思い浮かべていた。




ドゥルガ・プジャが終わり、フーグリ川へ向かう神々


その日カリガートに運び込まれた患者さんのむごい創傷。
上唇はかろうじて残っていたが、顔の下1/3の肉は腐りえぐれて、
二人がかりでウジ虫を取りだしていた。
推定50歳、女手で育てた3人の子供はすでに所帯を持っていて、
誰も母親の面倒をみないという。
幸いにシアルダ駅近くでMCのボランティアにピックアップされたものの、
7日間水だけ飲んでいたと。
どうしてこうなるまで放っておくの? 誰も何にもしないの?
いつもながらの嘆きである。
通りを行く祭列の豪奢も、人々の浮かれ騒ぐ様子も、
カリガートの患者の背負った生も、どれもこれもがインドの現実、
相容れないと感じるのは我々だけかも知れないが。

いよいよカリガートの大改修が10月から始まり、収容者は症状にあわせ他の施設へ、
重症者40名と薬や鍋釜一切合財をプレムダンヘ移した。
この広い敷地の一角にできた、カリガート仮住まいである。
引っ越し作業でクタクタ、仮住まいゆえに勝手の違うことだらけでアタフタ、
通うのに遠くなってヘトヘト、こんな筈じゃなかったのにと思いつつ。
患者さんの看護すべてを他所に託すのであれば、
私はしばらくゆっくりして小旅行でも……との読みは全く甘かった。
考えてみれば、手のかかる人達をそう簡単に人に任せる訳にはいかない。
という訳で、毎日プレムダン横のスラムの子供たちに
「ハロー」「チョコレート?」と声掛けられながら通っている次第である。
改修工期は3ヶ月とも半年とも、予定の立たないのがThat's India。




スラム街の一角にあるプレムダン(後方)

プレムダン近くの路上の子供


10月1日、The Times of Indiaの記事でおもわず顔がほころんだ。
その前日のウッタル・プラデシュ州の高等裁判所が下した判決を
各紙が取り上げるなかで、ほんの小さな扱いではあったのだが。
インド中が注目した判決とは、
ヒンドゥー教徒とイスラム教徒との間で60年にわたって争われてきた、
同州の古都アヨーディヤの係争地の法的権利をめぐる訴訟に対するもの。
アヨーディヤには、ムガール帝国時代の1528年にモスク(イスラム教礼拝所)が
建立されたが、ヒンドゥー教徒は、同地は叙事詩の主人公・ラーマ神の生誕地で、
モスク建立前はヒンドゥー教寺院があったと主張。
92年には、2万人を超えるヒンドゥー教徒がモスクを襲撃して宗教施設を破壊した。
この後、各地で宗教抗争が起こり、2千人以上が死亡したとされている。
判決は、聖地の3分の2をヒンドゥー教徒、残りをイスラム教徒に
分割所有するというものであった。
さらに、モスクが破壊された後に作られた仮のヒンドゥー寺院が置かれている
場所については、「ヒンドゥー教徒の教義と信仰にしたがって」
ヒンドゥー教ラーマ神の生誕地であると認められた。
(ラーマは神話上の人物で、実在したという証拠はなく、
ヒンドゥー教寺院があったという証拠もないらしいのに)
どうも玉虫色の判決ではある。
双方微妙に納得いかず、最高裁に上告して、
最終決着までにはさらに時間いや年数がかかるらしい。

この判決のおりた9月30日は、ベンガリーの授業の日、
キランママは休みではないかと言ったが、
何も連絡もないからとにかく行ってみる、と出かけた。
玄関前でいつも群がる生徒たちの姿はなく、ガードマンに聞くと、
当たり前だろといった表情で休講を告げられた。人々にとっていかに
その判決が重大な関心事なのか、思い知らされた。
シン首相が、判決を前に国内主要紙で
「判決後はすべての国民に平和と秩序を保つことを要請する」
と全土に冷静な対応を呼びかけたごとく、
判決次第ではヒンドゥー・イスラム双方の過激派が暴徒と化す恐れがあったのだ。
大規模な宗教抗争に発展すれば、高度経済成長を続けるインドのイメージを損ねかねず、
それは政府が最も避けたい事態。

さて、嬉しい新聞記事に戻るが、判決当日の朝、
ある学校の9歳児の男子生徒たちが独自に下した判決内容が紹介されていたのである。
騒動を怖れて親が登校させなかった児童も多く、一クラスに集められた生徒に先生は、
係争の経緯を説明したという。
聞いた児童たちは、自分たちの判決を考えようと提案、一人ひとりが書き出した。

「貧しい人達のための血液銀行をその地に作ればいい、みんなの血の色は同じだから」
「貧しい人達のための病院を建てるべきだ」
「みんなが寄付して貧しい人たちの収容施設を作ればいい」
「ヒンドゥーとムスリムが手を結び、お互いが話し合う集会所にすればいい」
「お互いが争うよりも、ヒンドウーもムスリムも
 クリスチャンもいつも友達同士であるべきだ、同じインド人だもの」
「お金持ちの子供も貧乏な子供も、どの宗教の子供も、
 みんなが一緒に勉強できる学校を作るんだ」……

これら子供たちの判決について、校長の談話は
「いわゆる素朴な見識といえよう、人間はみな生まれながら持っているのだが、
 次第に失ってしまう。我々に戒めを与えてくれた子供たちを、
 私はただ支持し祝福するのみであった」
親たちが戦々恐々やりあっているのを聞いていても、
子供たちは純粋に思いやりに満ちた考えを
描けるとすれば、それはひと筋の希望の光と言えなくもない。
小さな光が、これからどんな輝きになるのか、踏み消されてしまうのか。
小さな光が育つには、あまりに悪しき風吹く大国ではあるが。


▲このページのTOPへ