奮闘記 in KOLKATA


名もなき命
「ノモシュカール」患者さんに挨拶しながら一巡する毎朝のおきまり。
重症の人は特に目を凝らして。
6月末のある朝のこと。あれっ、ラビアの脇に何かが。
ベッドのそばに行く。生まれ出た赤子、もう冷たくなり始めている。
やっぱり死産だったんだ。掛けてあったシーツをそっと持ち上げてみる。
へその緒がつながったままだ。5ヶ月と聞いていたが20cm余りの男の子。
可愛い寝顔だ。ラビアは力なく私の顔を見ていた。
その一週間ほど前、結核で衰弱した身体で運び込まれた。
妊娠していると分かったのだが、40度近い高熱が続き胎児の命も危ぶまれた。
そして危惧は現実に。出勤(?) してきたイタリア人ナースのテレサに告げると、
お腹を聴診して多分ダメだろうと思っていたと。
やがてワーカーの女性が胎盤を取りだして事後処置をした。
一日で出血はおさまったのだが、ラビアの様子は一向に明るさが見えず、
かろうじて水分を取るくらい。
点滴で4日ほど耐えたが、赤子を追うように逝った。
一度も彼女の笑顔を見ることはなかった。
逝った日の朝、痩せ細った身体をベッドで洗ってあげたのが
まるで旅立ち前の清めのように思えた。
彼女の26年の過去は何も分からない。
結婚はしていなかったという。やはり娼婦として働かされていたのだろうか。
7月22日、MCの子供の施設シシュ・ババンから、小さなダンボール箱が遺体安置室に運び込まれた。
聞くと1歳に満たない乳児らしい。
焼き場へ段ボールで運ぶのは可愛そうと、ワーカーが小さな木の箱を見つけてきて、
白い布を巻き付け、蓋も巧みに細工して、死出の乗り物を作ってあげた。
貧しく病んだ母親から生まれ、捨てられた命の寿命は往々に短い。
ユニセフの統計では、妊婦10万人あたりの死亡率はインド540人(日本6人)、
5歳未満の子供の死亡率が1000人あたりインド76人(日本4人)という。
アフリカなど後進各国ほどの悲惨な数値ではないにしても、
先進国以上の経済成長率に比して明らかに開発途上国のそれである。
しかもデータに表れない数値が、出生届けさえ出さない貧しい農村部や都市貧困層にある筈で、
格差社会インドの実情は限りなく痛ましい。
妊娠していることすら気づかず診断治療も受けぬまま、栄養不良で貧血気味、
出産時は助産婦にも頼めず適切な処置を受けぬまま‥‥
母親も子供も死に至るリスクが貧しさゆえにつきまとう。
底辺の人たちのさまざまな死を日常的にまのあたりにしても、
one of themで“死”に対する感覚が麻痺することはない。
氏名不詳“unknown”のまま、どう生きたかの証もないまま、
ワーカーや我々だけに看取られて終える名もなき一生、命の重さに違いは無いはずなのに。
我々が最期のわずかを寄り添っても、一つ一つの生に意味を与えてあげられる訳ではないだろう。
安らかに逝ってよかったねと言うのは、我々の自己満足かもしれない。
たとえそうであっても、それしか我々にはできない。
貴方を大切に思っている人がここに居ますよと、見つめ、声をかけ、手を握ってあげるしか。


乳児の死出の旅用にワーカーが手作りした箱


雨期のTopics
前回ご報告した異常気象ぶりのその後。
例年より一ヶ月遅れで6月末にやっと雨期突入。
ただし雨量は少なめ、道路が川状態になることも今はなし。
7月の気温は日本の7月とほぼ同じか少し低め。過ぎた酷暑を思えば“楽勝!”。
路上生活の人達には一番厄介な時期に思えるのだが、どうして彼らは逞しい。
“アーケードの下暮らし”でない人たちの唯一の雨除けはビニールシートと重しのレンガ。
「濡れて困るものが沢山あるでなし、陽が照れば道に広げて乾かしゃいいさ、
傘なんぞお呼びじゃない、自然のシャワーだ」てな具合か。


路上の子沢山家族。夫婦と子供4人、一人は蚊除けネットの中に。
後ろのブルーのビニールが雨降り時の屋根。


そして今熱いのは、長く続いたマルクス共産主義地盤で、
議席数を大幅に奪取した、ママタ女史率いるTMC・草の根会議派かもしれない。
総選挙後初の大規模集会を街の中心部エスプラネードで7/21に開いたのだが、
何と集めた支持者50万人を超えたとか。1700台のバス・トラックを確保し、
雨の中を党旗なびかせながら会場めざして疾走する様は、まさに怒涛のごとくであった。
路線バスも大半チャーターされており、
中心部はほぼ一日厳しい交通規制が敷かれたこともあって、
半径数キロの移動手段はたった一路線の地下鉄のみとなった。
その翌日にはタクシー業者が運賃改定を求めてストライキ、
24日には民間のバス・タクシー・貨物車の運送業者団体が無期限ストライキに入った。
“15年以上の古い商業用車両の走行を禁止する(8月1日実施)”という
高裁決定に抗議したものとか。大半のバス・タクシーのオンボロぶりからして、
この裁定は何と大英断というか、無茶なというか、これもThat's India。
いかに移動の足を奪われようと、不自由を強いられようと、
人々が動じないのもThat's Indiaである。
「カッカッしても仕方ない、なるようになるさ」
業者団体はその日の夕方にストを撤回し、最高裁に上訴することになったとか、
まだまだスト再開の可能性ありということだ。

皆既日食の21日、インドでは西南から北東にかけて軌道直下になるというので、
多くのボランティアがコルカタから聖地バラナシへ出掛けた。
ヒンドゥー教徒のしきたりでは、太陽が隠れる時間の前12時間断食して、
その日は何もせずマントラを唱えているのがよいらしい。
そしてこの日の光線は有害だから、妊婦は外出はおろか窓越しにも光を浴びてはならぬと。
要は不吉のイメージ? ちなみに、曇り空のコルカタでは、
小さく三日月のように見えただけ、もっぱらネットで観賞した次第です。

そうそう、大事なことを忘れていました。
7/7はsumiko○○歳の誕生日。
カードやメールでメッセージをいただき、
キランママからはお花に手作りチョコレートケーキとディナー、
義妹のリタさんからもお花と手作りケーキの嬉しい贈り物。
吐き気と頭痛で一日中寝てしまっていたのに、夕方にはそれらも退散してくれ、
有難いディナーパーティを断わらずにすみました。
又一つ取って(マイナスして)、さぁー溌剌と。


久しぶりにキランママ登場。いただいた花と手作りチョコレートケーキ。


▲このページのTOPへ