庶民にジワリジワリと

ネパール体験をご報告しているあいだに、コルカタでは暖冬のまま年が明け、
街中いたるところで住まいの建て替え工事や道路工事が延々と続き、
土埃のシャワーがすさまじい。
2月末にしてもう夏の気配だから、盛夏の暑さが思いやられる。

ここグプタ家の前の道路をはさんで、ハローワークのような機関のビルが
あるのだが、先日このビル入口から延々と人の列が約2キロ続いていた。
あんなに長いのは初めて。
老若男女みんなが手にしているのは、求職申込書らしきものを入れた
オレンジ色の指定封筒。地面で書類を書き入れている人も何人か。
人口過密都市の就職事情は相当に厳しいようだ。
世界同時不況とやらの影響は、インドも全く無縁ではない。
中国に次いで高い経済成長率がここ数年続いていたが、
09年から減速傾向のようだ(7.3%→5.1%)。
08年には食料品や燃料などの卸売物価上昇率が12%にも達していたインフレも沈静化しはじめた。
が、ガソリン代は下がっても、米やパン類などは値上がりしたまま。
土地インフレも依然高止まりらしい。
ローン金利が上がったため自動車など高額商品の販売が伸び悩み、
稼ぎ頭だったITサービス産業も米国向け需要が鈍って業績下方修正だと。
Rainbow Homeのbig boysが土・日曜に通っていた自動車修理工場でも、
塗装やり替えなどで持ち込まれる車が減り、週一日だけ来ればよいと。
あれだけ喧伝されたインド株も相場急落、海外からの投資マネーの引揚げは
ルピー安を加速。一年前1ルピー3円近くだったのが今2円を割っている。
だから大きな出費の際には私もルピーを使わずカード決済にしている。
しかし今の状況をインド政府は悲観視していない。
増え続ける人口、若年層主体の労働人口増で内需はさらに拡大し、
潜在成長力への期待は高まりこそすれ弱まることがないと。
トータルでの経済拡大だけにうつつをぬかしている場合ではないだろうと、いつも思うのだが。


一旦値上がりした米の値段は下がらず

患者さんの様変わり

ニルマル・ヒルダイにカビタが戻ってきた。
2年ほど前に糖尿病とそれによる神経障害から壊疽(えそ)状態になった足先を治療していた
色白美人だ(32歳)。今度は糖尿病に加え身重の身体で。産んでも貧しくて育てられないから、
MCの孤児の施設に引き取ってもらうのを前提にしてとか。
数日で元気を取り戻すと我ままがぶり返し、薬を拒否したことからシスターと
激しく口論して追い出された。体力もないし自分が折れるしかないから、
結局その日の午後また戻ってきた。彼女用の朝食を準備するのは私の役目で、
必ず付く甘いチャイもジャムもスイーツもバナナも外してパンにはバター、
そしてミルクやみかんを出していると、今度はたまには甘いものを食べたいと
皿を放り投げてヒステリックを起こした。
先日もウンチまみれで石の床に寝ていて頑と動かないのを無理やりシャワールームに
連れて行って洗った。気性の激しさに手こずることしばしばだが、
シスター曰く「我々はお腹の子供の為に譲歩している、彼女のためではない」と。
果してそれでいいのだろうか。まだ若くて貧しい夫婦のためには
妊娠しない術(すべ)こそ教えるべきではないか。孤児を増やさないためにも。
中絶はもちろん、ゴム等による避妊すら認めないカトリック教義の前時代的感覚に、
どうしても馴染めないのは私だけだろうか。
不本意な妊娠等で運び込まれる患者も続いた。
強姦されて、あるいは妊娠したら亭主に女が出来て追い出されて‥‥
そしてここで生を受けた子供は孤児の施設へ。親の顔も温もりも知らぬまま育つ。
ニルマル・ヒルダイに残った母親の表情は清々しているようにも見える。
どんな事情があれ、どんなに貧しくとも自分が産んだ子は自分で育てるべきなのだが。
母親がmental の場合、コトは簡単ではない。子供は施設へ、そして親は路上に戻しても
又男たちの餌食になりかねないし、精神疾患の女性を収容するMCの施設へ移そうにも向こうも満杯で、
そうそう受け入れてくれない。かくして、ニルマル・ヒルダイはmentalな患者さんや
認知症のおばあちゃんが随分多くなった。創傷や病が癒えても出すわけにいかずに。


近くの貧困家庭の子供を集めてニルマル・ヒルダイの2階で開いている学校。
(ベンガリー、英語、歌などを午前の2時間ほど)
貧しくても親元で暮す子供たちの表情の何と明るいこと。

微笑み返してくれるかな

長身の美人ニダはまだ19歳。
運び込まれた時からベツドに座る力もないほど衰弱していた。
検査結果はAIDSだったが、どうやら結核も併発しているらしい。
介護を任される際にシスターは何度も「怖くないか」と尋ねた。
そしていつもノーガードの私に手袋を付けること、食器や衣類は別管理することなどを
念押しした。今までの経験では、若い女性の場合娼婦街で働かされていて
病気になって初めて無罪放免されたケースが多い。
いつ・どう感染し、発症したのか定かではないが、多分ニダも同様のケースだと察せられる。
ただ黙って静かに現実を受け容れているふうにも見えるし、
自分がAIDSに罹っていることやその怖さを全く知らないのかもしれない。
“よく死ぬことはよく生きること”と我々にすればなるほどと思えるフレーズも、
彼女らには当てはまらない。“よく生きる”選択肢さえ与えられず無理強いされた
仕事の代償がAIDSだったとしたら、自分の意のままにならぬこと尽しではないか。
たった19年の貧しい人生で心から笑ったこともあったには違いない。
いま目の前の、澄んで大きな目を見つめていると、やがて終える生の最後は
どうかpeacefulであって欲しいと、切実にそう思う。
HIV/AIDS患者を収容するMCの施設は、アフリカに比べると極めて少なく、
コルカタでは一ヶ所のみ。州政府関係の数ヶ所の病院で診察・検査はしても、
入院受入れの施設はまだ1ヶ所(2006年)、医者・看護士ですらあらぬ偏見から
ろくな治療しかしないケースが多いとネットサイトでも度々見た。
インド人シスターが「怖くないか」と何度も私に尋ねたのもなんとなくうなずける。
最先端の医療技術で海外からも治療ツアー客を集めるのもインドなら、
然るべき認識すら持ち合わせない医療従事者がまかり通っているのもインドなのだ。


ニダ 長かった髪はやむをえずショートにされ、
写真映りもよくないが、ほんとに美人なのです


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