ビバ Kathmandu(11/26〜12/4, 2008)

カトマンドゥ、また来たい不思議な街だ。
ビザ書換えを初めてネパールでするための小旅行は、
発見と出逢いに満ちてエキサイティングなものになった。
京都へ戻るのが5月に延びる寂しさを紛らすほどに。
ボランティアが置いていった古いガイドブックを頼りに、
飛行機とホテルだけネット予約しただけでろくな計画も準備もしないまま慌しく発ったのだが、
到着早々から思わぬ展開となった。
ホテル迎えの車のドライバーが、ビザのことなら信頼できるエージェントを紹介してやると
携帯で呼び出して私に代わり、聞こえてきたのが日本語、明日の朝ホテルに行くから話だけでもと。
自分でトライ主義の私としては余計なお世話に思えたが、
裏事情を探る興味本位で、次の朝ロビーで会った。
ブッディというこの男性、日本語検定級を取り、達者な英語も駆使しながら、
熟年日本人グループはもちろんのこと世界中から集まる登山やトレッキング目的の
ビジターのツアー一切を仕切るやり手のようだ。
眼にずる賢さは感じられず、とにかく彼の事務所へ行き相談することにした。
飛行機で1時間余りの隣国であるネパールだが、インドビザを取る難儀さは散々聞いていた。
特に私のようにパスポートに6ヶ月ビザが何枚も貼ってある場合には容易にはくれないと。
大使館で何時間も列を作り待たされて手続きをし、
4日後に行っても“何故インドに”としつこく聞かれNoの場合もあると。
大使館員に袖の下、ブッディに仲介料を払うことでこの面倒さから逃れ、
カトマンドゥをフルに楽しむのもいいかも知れない。
結局この結論に達し、2泊3日のミニトレッキングを体験することにした。
そして、不満なホテルをキャンセルして、戻ってからのからのホテルもアレンジし、
所用があってビザが取れ次第コルカタへ戻りたいため帰りの飛行機の変更も交渉してくれ、
靴や帽子・防寒着などを急遽揃える買い物も付き合ってくれた。
前日にインド・ムンバイで大きな爆破テロがあったのに、私はミニ冒険に浮かれていた訳だ。


ナガルコットのホテルから見下ろす

山に抱かれ、山に暮らし、山で生きる

翌朝迎えに来た英語ガイド・テジャと車で向かったのは、
ヒマラヤの最もポピュラーな展望台・ナガルコット。
2100mの山の頂にあるこざっぱりしたホテルに着いてから、近くの民家を訪ねたり、
何だかおかしげな日本食レストランで昼食を取る。
ここで出逢ったのが、私の旅をとても充実させてくれることになった
日本人バックパッカーの麻美さん35歳。
別のゲストハウスに居るという彼女を夕食に誘い、翌日のトレッキングも誘った。
ガイドのテジャには「一人も二人も同じだろう、チップをはずむから」と説得して。
一つ気がかりは、これきしの標高なのに、
しばらく散歩で上り下りしただけで胸が苦しくなりへたり込んだこと。
少しの空気の薄さでこの始末、明日はもつのかしら、とちょっとばかり不安ではあった。
学生時代ならした体力自慢も昔日か、と寂しくもあり。
翌朝6時過ぎに屋上で日の出を楽しめると聞き、一番に上がった。
気温2℃、やや曇りぎみ、6時半頃ようやく太陽が昇り始めた。
デジカメと撮る腕の限界で、うまく写真には収められなかったが、
コルカタからわずかの距離でエベレストなどヒマラヤの尾根を満喫できる喜びは格別であった。
山また山、かなたの山系にアタックする人々の並はずれた体力と強靭な意志、
そしてその人達を惹きつけてやまぬ山の魅力、私にとってはいつも想像外の世界だ。
“そこに山があるから”Because it is there のit は「何故山に登るのか」と聞かれた
英国人登山家が、当時処女峰のエベレストを指して答えたものを
“山”と誤訳したことに始まるらしいが、魅力的な響きではある。


ヒマラヤの日の出

麻美さんと3人で8:45出発、私の大きな荷物は「ガイドに任せろ」との
ブッディの言によりテジャに背負わせる。
彼は「荷物運びのポーターではなく、もっと格が上のガイドなんだが」とぼやいたが、
「年寄りで体力も危ういから」とお構いなし。
ゆるやかな上りと下り、暑いくらいの日差しを受けながら、
それはそれはのどかで満ち足りたトレッキングだった。
“こんなところにまで”と感心するほど山の隅々まで段々畑が
敷き詰められるように広がり、トウモロコシやジャガイモ畑が続く。
街から遠くとも、ハードな耕作を強いられようと、わずかな収入でも、
かなたの山脈に見守られながら、人々は山にへばりついて暮らしている。
道沿いで出逢う村人も、貧しいに違いなくとも疲れた表情はない。
若い人が街に出たがるのは、いずこも同じ傾向のようではあるが。
道すがらテジャにガイド事情も色々聞いた。
25歳、どこかに雇われの固定給社員というのではなく、
エージェントからのお声掛かり次第で収入が決まる。
本格登山隊に随行してベースキャンプまで案内するといった場合は
かなり長期にもなり実入りもいいが、ガイド有資格者も多いから競争は激しいようだ。
確かなルート案内はもとより、病人や事故の緊急時の対応など、
経験と判断力がものをいう仕事に違いない。
いわばシーズンオフの12月末からは日本語学校で学び、
日本人客への対応もできるガイドになって収入を増やしたい、
そして彼女と結婚したいと。
「もし今回のガイドで満足してくれたなら、ぜひ知りあいを紹介して欲しい」と
何度も懇願していた。


山の村で 日向ぼっこの子供

望外のもてなし

前日心配した動悸の異変も全くなく、その日の目的地ドゥリケル(1524m)までの
約26kmを歩き終えたのは午後3時過ぎ、チャイで10分ほど休憩しただけだが
空腹というより景色と爽快感がご馳走となり食欲に勝った。
私はブッディがお薦めのホテルヘ、バックパックを苦もなく背負って歩き続けた麻美さんは
安いゲストハウスを探すと言い、カトマンドゥでの再会を約束して別れた。
手配してくれていたのは全く予想外の素晴らしいホスピタリティのホテルだった。
何より“地球の歩き方”に載ってないのがいい。
ガイドブックがあてにならないことは、今までさんざん体験済みだから。
停電が当たり前の地でガス給湯のシャワー、広々として清潔なコテージ風の客室、
マネージャーのとんでもなく懇切丁寧な説明、
センスのよい食堂での本格的なフルコースディナー、教育の行き届いた使用人、
爛漫の花々、辺りの山々の緑、雪を抱いた遠くの山脈‥‥
トレッキングの心地よい疲れを癒すには充分すぎる贅沢さであった。
カトマンドゥから車で1時間くらいで来られるから、
街のリッチ層がガーデンパーティーを開いたりもするらしい。
着いた時もその後片づけの最中で、マネージャーは慌しくしていることをしきりに詫びていた。
山側前面にしつらえた窓からのヒマラヤ大パノラマを夕に朝に満喫し、
「ぜひ又ゆっくりいらして下さい」と、握手と笑顔で見送られた。
(そういえばテジャはこんないいホテルのどこで寝たのかな)と要らぬ心配をしたのだが、
きっと使用人の部屋らしきものや賄い食が用意されているに違いない。
迎えの車で、埃っぽいカトマンドゥに戻ると、ほどなく麻美さんがホテルを訪ねてくれた。
彼女のお陰で又また新参者には大助かりのカトマンドゥ体験をすることになった。
感激の日本食などを次回にご紹介!


ドゥリケルのホテル

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