Give & Take の分業社会

家の玄関の前にポリ袋や雑ゴミがいっぱいだったら、貴方ならどうします?
目立つゴミだけでもすぐに拾うし、
毎朝掃き掃除や水まきをするのも日本でならフツーですよね。
インドではそれが出来ないのです。
そう、家の者が堂々と自分ちの前を掃除できない、
その仕事は市から請け負っているsweeperの仕事だから。
グプタ家の入り口前にスナックの袋や落ち葉が増える一方だったある日、
キランママに聞いてみた。
「ひょっとして、ママが掃除することはできないの?」 予想的中。
「自分がしてるのを見られたら、
“オーナーがあんなことをしている”と後ろ指をさされる。
lazyなこの辺りのsweeperにチップを渡してやらせるしかない。
でもsumikoが気になるなら、朝早くに私がやるよ」。
That's India やらないと後ろ指さされるのではなく、やるとさされる。
良くも悪くも、階級意識に根差した分業社会。
職業の貴賎と身分の貴賎が対応している。
二階から道にゴミを投げ捨てようと所構わずゴミ捨てしようと、
シャツのアイロン掛けひとつを街角の屋台アイロン屋に出そうと、
食事あとの皿を台所の流しに山積みに放っておこうと、
それは下層の人たちに仕事を与えてあげているのだ。
施しをしたり仕事を与えることが上位カーストの功徳になるのだから、
受ける側も「ありがとう」一切言わない。
Give & Take の分業社会なのだ。


道路の掃き掃除をするsweeper

家事の一つ一つにメイドの分業があり、外ではsweeper、ゴミ集め人、
靴草履の修理人、リキシャラー、洗車請負などなどが
アウトカーストの仕事として割り振られている。
我々のボランティアワークの内容はまさにアウトカーストの領域、
人の死、糞尿、血や膿といった汚物に関わり、洗濯、皿洗いなど、
ヒンドゥー社会で“不浄”とされる仕事に喜々と面しているわけだ。
だから、ドネーションを届けてくれるインド人は沢山いても、
ボランティアワークそのものを買って出る人はまだ少ない。
例外的に通ってくるインド人ボランティアは、
マザー・テレサの信奉者や自らの価値判断で階級差別にNoと言える
インテリ層、敬虔なカトリック信者というところか。
趣味のいい素敵なサリーを着ていつも楚々と尽しながら
患者さんに寄り添っているNaomiも、そんな例外のインド人。
医師であるお父さんの仕事の関係で、生まれも育ちもカナダだから、
身体にインド人の血が流れていても(彼女の表現)、
文化・教育・思想的には西洋人に近い。
大学で社会学を専攻し卒業したばかりだが、
仕事に就くまえに自らの生の原点であるインドで、
その社会の現実と人に素直に触れてみたかったらしい。
育ちの良さや知性がまったく嫌みなく感じられるしとやか美人、
ニルマル・ヒルダイでは異色の大輪の花である。
すっかりファンになってしまった。
Naomiが帰るまでに、祖国についてどう感じているかをぜひ聞いてみたい。


素敵なボランティアNaomi

健康でさえあれば貧しさも

7年近くもニルマル・ヒルダイに居たニリマが遂に出されてから、
2ヶ月以上になる。他の施設行きを拒んだために、
路上に戻らざるを得なくなったのだ。
半身不随で歩けず、右手しか利かないが、ニルマル・ヒルダイを
離れたくないという願いは聞き入れられず、泣く泣く路上へ。
毎朝シャワー介助していた私はやはり気がかりで、
リキシャーで送ってきたというワーカーにニリマを降ろした場所を聞いた。
私が通う道の近くという。3日目に見つけた。
人家の軒先で、もう薄汚れてはいたがしっかり座っていた。
それからは毎朝「おはよう、元気?」と声を掛けるのが日課になった。
ある日の帰り、傍まで近づくと、たちまち私は数人に取り囲まれた。
「なぜこんな不自由な彼女を追い出したんだ」
と男たちが抗議しているらしかった。
Missionaries of Charityがあらぬ誤解を受けては困るので、
「他の施設行きを彼女が拒否したからだ」と必至で説明した。
騒ぎを聞いて2階の窓から顔を出した女性が訳してくれていた。


座り続けるニリマ

どすこいシスターに言わせると
「長く居てニリマは我ままになってしまった。
貧しく病んだ重病人はいくらでもいるのに、
ここに居られた有難さを思い知るべきだ。
また他の施設に空きの連絡があれば考えてもいい。
とにかく放っておきなさい」と。なるほど。
とはいえ、通い道なもので、身体の不調を訴えられると薬を渡したり、
余り物の食事を届けたり、知れれば大目玉を内緒でしている。
以前より痩せたし、垢だらけだが、何とか生きている、いつも同じ姿勢で。
お金も身寄りも何もないが、近くのチャイ屋や
露店のおばちゃん達が、助けているらしい。
売り物のスナックを与えたり、大雨になればビニールシートで覆ったり。
貧しい者同士で気軽に助け合うのもこの社会なのだ。
その意味では案ずるより産むが易し、確かに。
近頃は、ニリマの仲間まで私に笑顔で声をかけてくれる。
そういえば、毎日の行き帰り、とびきり元気に
声をかけてくれるのは、底辺の人たちばかりだ。
路上暮らしの一家(悪ガキ3人とグータラ父ちゃん、働き者母ちゃん)、
車洗いのおじちゃん、ニルマル・ヒルダイ周辺のbeggar、
靴・草履修理の照れ屋じいさん、beggarを除いてほんとに屈託がない。
永劫繰り返す輪廻転生を思えば、ジタバタしたって仕方無い、
今の生を受け入れるしかない、諦めでもなく達観でもない、
生への不思議なくらいのエネルギーがそこにあるように思える。
あわよくばリッチに、そして上位に生まれ変われることを目指す
つわものもきっと居る筈。
健康であればの話だが。


お世話になってます、靴・草履修理のおじさん

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