印パ分離独立という悲劇の影は今も

2008.8.15 インド62回目の独立記念日。
1947年、インド・パキスタン分離独立という形で
200年に及ぶ英国植民地支配から解き放たれた日。
くしくも2年前のこの日は、日本では第二次世界大戦の
敗戦と降服を発表する玉音放送があった日で終戦記念日。
今年は各地でイスラム過激派等によるテロ爆破事件が起き
多数の死傷者が出ていることから、首都デリーの超厳重警備を筆頭に、
各都市での警備は例年にまして物々しかったようだ。
コルカタも然り。
日本総領事館からは頻繁に注意喚起のメールが入り、
「多くの人が集まる公共の場所、駅、市場、バス停
および宗教施設等には、可能な限り近づかないように‥‥」と。
数日前から、大きなショッピングモールでは、
飛行場なみの手荷物検査とボディチェックを入口でしていたし、
メトロの出入口で睨みをきかす軍警備官の数も増えていた。
祝日当日、一般の人にさほど警戒感があるふうもなく、
私もボランティアワークを早めに切り上げ、
レインボーホームの行事に参加しなければならず、メトロも利用した。
あえて人混みの中に行かずとも、
“まさか”はいつ誰に降りかかるか神のみぞ知る。
結果、この日にテロ事件はなし、レインボーホームでの
ささやかなセレモニーで平和を祈る日となった。
ホームでは、お姉さん格の二人が朝5時から地面に描いたインド大陸、
その後ろに6枚の写真が飾られていた。
下段中央は独立の父マハトマ・ガンジー(偉大なる魂)、
その横に自由の闘士チャンダルシェカル・アザード氏、
初代ネール首相に娘のインディラ・ガンジー首相、
そして上中央が日本とも関係の深い
“インド国民軍を率いた独立の英雄”チャンドラ・ボース、
インド国民が敬愛して止まぬ人々である。


Rainbow Home での独立記念日

兄弟姉妹の絆を誓い合うラクシャ・バンダンの日

8月17日 子供達が楽しみにしている家族の祝日、
別名ラキ・デー(Rhaki Day)とも言う。
女性が男性兄弟・従兄弟の健康・平安を祈って右手首にラキという紐を結び
「これからも仲良くね」と絆を確かめ合い、お返しにお菓子をもらう。
家族・親戚にたくさん女の子がいれば、両腕にラキが並ぶ。
そして家族・親戚がだんらんの食事を楽しむのだ。
この一週間前くらいからカラフルなラキがあちこちの店の軒先に並べられ、
女の子達は楽しげにお気に入りを選んでいだ。(5Rs.〜15Rs.)
私も、女のではないがいくつか買った。
さてこのラキ・デー、インドの大家族制の
伝統を象徴する祭りの一つと言えなくもない。
家族愛の強さは言わずもがな、親戚、一族郎党意識とその結束ぶりは、
日本人からは想像できないほど固い。
誰かが財を成したりstatusを得ると、それは一族郎党の誇りであり、
誰かが困窮すれば無償の援助も当たり前にする。
悪く言えば、“無い者は有る者に平気でねだるし、
有る者は無い者に一族郎党内のボス然として与える”。
インドでの知人が、義弟の子供の大学入学費を
ごく気軽に出してやっていたのを聞いたときには、
「有り得な〜い」とたまげたものだ。
騙して、ぱくって、リベートで、といったインド人の金銭感覚は、
ひょっとして一族郎党の繁栄の為かもしれないと思ったりして。
ラキの話題からそれたが、
兄弟家族仲の良いのはとっても幸せなことではある。


姉妹従妹からもらったカラフルな「ラキ」を右手に。
(大学生ってこんなに毛深い?)

ゼネスト常習もThat's India

8月20日 又またストライキ。
小さな露店チャイ屋を除いてすべての店が閉じ、交通機関もストツプ、
銀行・オフィス・学校も右へならえ、全土全産業ゼネストである。
仕掛けたのは、米国との民生用原子力協定の発効を急ぐ
シン政権への反発を強めたインド共産党などの左派連合、
物価高騰への国民の不満を背景に全土で反政府キャンペーンを始めていて、
全労組結集の今回のストにつながった。
左派政党地盤の州でより徹底して。
13年ぶりといわれるインフレ率
(8月9日基準週の卸売物価上昇率は12.63%)で、
石油製品は言うに及ばず、野菜・果物・卵・乳製品などの食品・日用品、
タクシー代‥‥がジワジワ値上がりしている。
私の家計簿(?) を見ればこの推移は歴然!  
それにしても、原油高を引き金とする物価高に嘆くインド国民は、
インド自身が世界のインフレ傾向に少なからず
影響を及ぼしているってこと、お分かりなんでしょうかねぇー。
中国と並び急激な経済発展を遂げつつあるなかで、
原材料需要を増大させ、生活習慣の欧米化で乳製品などの
食糧需給のパターンを塗り替え、
世界のインフレに寄与しているようですから。
ストライキ前夜はどのシネコンもショッピングモールも超大入りで、
翌日の自宅籠りに備え羽根を伸ばしていたとか、
いずこも同じ無関心派が大勢(たいせい)というところか。
ともあれ、ストでもボランティアは休みなし、
ニルマル・ヒルダイのボランティアは
マザーハウスからMissionaries of Charityの
救急車で送り迎えしてもらっていた。

「Smile is the beginning of love」(マザー・テレサ)

8月から10月にかけて、マザー・テレサの大事な記念日が続く。
8/22 ニルマル・ヒルダイ「死を待つ人の家」設立56周年 (1952年設立)
     記念のミサでは、毎日我々と一緒にボランティアワークしている
     若い韓国人Father(神父)の熱い説教、
     そしてランチは患者さんにもボランティアにも大盤振舞いのご馳走、
     どすこいシスターも上機嫌でした。
8/26 マザー・テレサ生誕記念日。(1910年スコピエで生まれる)
9/5  没後11周年記念日 (1997年 コルカタにて召される、87歳)
9/10 Inspiration Day 1946年のこの日、黙想の為ダージリンへ向かう
     汽車の中で“神の召命”を受け、
     修道会を出て貧しい人々の中に入ることを決意した。
10/7 Missionaries of Charity 設立58周年 (1950年設立)

それぞれにミサがある。
カトリック教徒ではないが、マザー・テレサの人と生涯と教えを折節に偲び、
自らの姿勢を省みる大切なときである。
シスター達との小さな行き違いで沈み込むこと稀にあっても、
どうにかめげずにつとめさせていただいている。
Love & Smileのモットー忘れずに。


Sumikoの部屋のマザー・テレサ

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