祈りの作法はかくも厳し

ドンドドンドンドン、ドドンドン、ドドンドン。
5月も半ば近く、ワークから帰り洗濯・シャワーを終えてひと息ついていると、
テンポの早い太鼓の音が近づいてきた。
(えー、この炎天下にプジャ?)呆れつつ通りを見下ろす。
ややっ、女たちが五体投地しながら進んでいるではないか?
これは行かねば、慌てて着替えて外に出た。
ふらふらになって列に加わっているのは、
いつも早朝からタクシーを洗っている肝っ玉でぶっちょ母さんのロッキーだ。
その息子も一番前で頑張っている。
ずっと後ろで遅れ気味の女性たちも見覚えのある顔、そう近くの路上生活者だ。
先導するタンクローリー車のホースでアスファルト路面に水をまき、
五体投地した女たちの身体にも容赦なくぶっかける。
地に伏せては起き上がりを繰り返しながらしゃくとり虫のように
少しずつ前進するこの祈りの業は、巨体のロッキーにはキツ過ぎる。
自分たちの住む道路脇に作られた祭壇までもう少しというところで
、丸太が転がるように道の脇に外れ、だらっとのびてしまった。
付き添いガード役(?)の老いた女性が、
何やら叫びながら水をロッキーの頭にかける。
濡れた長い髪が顔にへばりつき恐ろしい形相で
起き上がったもののよろよろと身体がふれる。
あと何回か地に伏してどうにか祭壇に到着、
約2キロ近く周辺を行く巡礼は終わった。


びしょ濡れの五体投地

「シトラ プジャ」“冷を呼ぶ女神の祭り”だそうな。
一週間前、自分たちの祭りがあるからとロッキーに
100ルピーをせがまれたのは、この祭りのことだったのだ。
夕方祈りに来いというので、キランママを誘い、
差し入れのミスティ(お菓子)をどっさり持って出掛けた。
“地蔵盆”のように、子供や年寄りが祭壇前で祭り気分を楽しんでいた。
僧侶が居る訳でもなく、ライティングされた見慣れぬ女神像が飾られているだけ。
さっぱりと身なりを整えたロッキーが子供達に、
ドイ(ヨーグルト)を配るよう指図していた。
なぜこのプジャが路上の貧しい人達の祭りなのか
(数日後にも別のグループがやっていた)、
なぜあの厳しい祈りの作法が女たちに課せられているのか?
灼熱は路上暮らしに過酷であるには違いない。
しかし、“冷・涼”を願いこの暑さに耐え抜く健康を祈るだけでなく、
業をやり切れる気概を見せつける祭りではないかとも思えた。
この日の夜、突風と雷雨で気休めながら涼の空気がただよった。


祭壇にやっとたどり着く

世界が注目する万能ニーム

街角でよく見かけるニーム売り。
小枝は歯磨きに、葉っぱは煎じて虫下しに飲んだり、傷口に塗ったりと、
数千年前からインド人の生活に欠かせぬ存在だったとか。
ニームの木は街路樹としてどこにでもある常緑樹の大木。
その苦みの成分が害虫には大敵だが、哺乳類には無害というから、
まさに神が与えた恵みの木なのだ。
結婚するまでビハール州で育ったママに聞くと、
手軽で便利な日用品や薬も少ない農村部では、
このニームを普通に当たり前に常用していたと。
例えば、妊婦は出産一週間後に身体を、ニームの葉を煎じた湯で清める。
ヒンドゥーの浄・不浄観念では妊婦は不浄とされるからだ。
傷口や水疱瘡の湿疹に塗り、若葉は油で炒めて食用にしていたという。
大都会コルカタでは、昔ながらの歯磨きチューブも薬も種々雑多あるから、
わずか1ルピーのニームの小枝や葉も、
手間ひまかけて使いこなすのは貧困層か、
暮らしの智恵を心得た年寄りのようだ。
いずこも同じ傾向ではあろう。
ただ、効用を活かして商品化されたものは世界中にたくさんあるらしい。
有機肥料、種を絞ったニーム油、化粧品、石鹸、シャンプー、サプリ、建材等々。
そして樹は乾燥に強いため砂漠の緑化にもよいとなると、
オールマイティな有難い樹木・地の恵みである。
“爪楊枝もルーツはニームの枝”らしいですよ。
インド人の歯が白いのはニームのせいだ、
と決め込んで歯磨きにトライしたことがある。
樹皮を削り、小枝の先が少しほぐれるまで噛みしごくのだが、
柔な歯とあごではなかなかうまくいかない。
悠々しゃくしゃくの境地にて行なうべし、とあきらめた。


ニームの枝や葉を売る少年

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