年末年始 コルカタのおりふし

10月のドゥルガプジャが日本のお正月気分で祝う祭りであると前にも紹介した。
だから年が明けても“Happy New Year”の挨拶を交わすぐらいで
特別な行事やご馳走もない。
ただ、元旦に早朝からカーリーテンプルなどにお参りするのは、
初詣といったところか。
新年の2日間ほどカーリーテンプルの前は参詣者の列が長く伸び、
バクシーン(施し)をねだる“おもらい”も書入れ時である。
ヒンドゥー暦ではキリスト降誕日(と言われる)25日も祝日で、
宗教的意味合いよりどちらかといえば雰囲気を楽しむお祭り的な
日本のクリスマスに近いが、キリスト教圏と同じく
1月6日の顕現祭(キリストの洗礼日を祝う)までを降誕節として祝う。
25日が過ぎればツリーもXmasケーキも姿を消す日本と違い、
デコレーション売り場もケーキ屋も年明けまで賑わいが続いた。
イブの日には街一番のケーキ&喫茶フルリーの前に50メートル近い列が出来、
ケーキを求め待つ人をドアマンが入店整理してさばいていた。
カットで150円〜、ホールで1500円〜、味こだわらずなら
フツーのケーキ屋でカット30円くらいだから、ざっと5倍。
Xmasはやっぱり高くても美味しいケーキなんですかね。


参詣者めあてに“おもらい”さんも列をなして

日本の風情で年越し・迎春

日本人会というのがある。
インド人と結婚してコルカタに住む人、日本企業の駐在員など160名ほどの
コルカタ在住日本人のうち7割近くが日本人会に入会していて、
親睦の集まりやボランティアをしているという。
その日本人会主催の餅つき大会が12月16日、
在コルカタ日本総領事館主催の新年会が1月12日にあり、
どちらも参加させていただいた。
餅つき大会には前にもビジター参加していて、
もち米・あんこ・きな粉・海苔などが
領事館配慮で入手されているのは聞いていた。
だがお招きに預かった新年会の豪華さは格別だった。
訪れた総領事公邸はまるでコルカタの異次元空間。
各国の日本大使公邸がどれほどのものか知らないため
比較のしようもないが、瀟洒な作りである。
総領事からの招待状に“平服で”と断り書きがあり、
どちらにせよ私は平服しかないんだからと気軽に出掛けたものの、
総領事夫人も和の柄のドレス、
領事館員の奥様達も総絞りのお着物など、思わず一人苦笑い。
“サリーも美しいけどやはり着物だねー”なんて妙に納得もしたりして。
楽しみのお料理はというと、
赴任時に京都・祇園の板さんを連れてきたとかで、純和食。
ひととおりのおせち料理にお寿司、おでん、たこ焼き、天ぷら、
焼き鳥、白菜の漬物、おはぎ‥‥
こんな贅沢な供応にあずかっていいのかしらと思いつつも、
すっかり食べ放題を満喫させていただいた。
外務省も人員削減策とかで、防衛省などからの出向派遣という形で
駐在している領事館員が何人かいてびっくり。
これってどっちが税金を使うかだけの話では?


総領事公邸の玄関 テーブルに飾られている写真は天皇・皇后両陛下

ニルマル・ヒルダイ(死を待つ人の家)満員御礼

年末からベッド数以上の患者さんで満杯状態(特に女性)。
長く居た名物お婆ちゃん達が次々に召されたが、新参の患者さんが途切れない。
精神疾患気味の患者さんが目立つのは何ゆえだろう。
虐待や迫害によるトラウマもあるに違いない。
大声でわめく陽気な姉ちゃん、
「父はインドの首相であるぞ‥」などと延々講釈を垂れるインテリ(?)、
にぎやかなことである。
創傷が癒えると別の施設に送られたりもするが、
路上戻りだと先が思い遣られる。
この時期とても心強いのは、ベテランボランティアの再訪である。
イタリア、スペイン、フランス、韓国、日本、世界各地から
とてもいい笑顔で“ただいま”といったふうに戻ってくる。
リピーター大歓迎。
どう動くのが今一番いいかをみんな心得ているので、安心できる。
イタリアから来たアキレ好爺77歳もその一人、
動きはゆっくりながら黙々と立ち働く。
「チャオー」と挨拶してくれる時の素晴らしく上等の笑顔が大好きだった。
重いものを運んでいるのを手伝おうとしてやんわり断られてからは、
自分のペースで働くアキレが一層好きになった。


また来て下さい、アキレさん。

死を待つ人 プリミラ

プリミラ50歳、今食べられるのは、わずかの流動食
(パン、バナナ)にチャイやミスティドイ(甘いヨーグルト)。
床擦れから感染症に罹ったのか、傷口は癒えても衰弱する一方。
骨と皮になった身体は、点滴でやっと温もりを保っている。
表情は苦しそうでも泣き言は言わず、毎朝「元気?」と声を掛けると、
大きな眼を見開いて弱々しく「元気」と応える。
いよいよダメかと思われた日、シスターや、彼女に目をかけている
イタリア人ボランティアが、死に逝く人へのお祈りをした。
そのあとしばらく手を握りながら傍で見ていると、
プリミラの目頭に涙が溜っていた。

(痛いからじゃないよね、お祈りで自分の死期を感じたから?
私達には知りえない家族のことなど思い出したから?‥‥)

涙の意味に思いをめぐらせていると、私の涙腺もゆるくなった。
その後、小康状態が続きかすかに笑顔の浮かぶ日もある。


死を待つ人・プリミラ

最期はこんなにも愛に包まれて モオ6歳

子供の施設から6歳の女の子が運び込まれた。
ニルマル・ヒルダイでは極めて例外的。
痩せ細った未熟な身体の割りに頭が大きいのは水頭症のせい。
脳炎か脳腫瘍が原因で、脳室で作られる髄液が
正常に循環吸収されなくなって脳室が肥大し頭が大きくなるという。
この子モオはその治療のために受けた手術で感染症を併発し、
運ばれてきた時にはすでに昏睡状態だった。
ナースの韓国人シスターは、自分も6歳のときに結核になり
一年間部屋に閉じ込められた経験があると言い、
モオの看護だけは毎日自分で念入りにやっていた。
スポンジで身体を拭き、特別に取り寄せた子供用のオムツや服を着せ替え、
シーツ類を取替え、飲み込む力がありそうな時にはミルクを吸い口で与え‥‥。
自分の娘も同じくらいの年頃に亡くしたというインド人ワーカーが、
モオの洗濯物は他のものと一緒にせずに自分で洗い干していた。
来て10日目の早朝、私がいつものように患者さんたちに
朝の挨拶をしながら様子を見て回っていてモオの異変に気づいた。
眼も口も開いたままで呼吸をしている気配がない、
身体はまだ温かいが脈は感じ取れない。
息を引き取って間なしのようだ。ミサに出ていたシスターにそっと伝える。
降りてきたシスターがお祈りをし、
「ありがとうね私のエンゼル、私たちに愛をくれて」と話しかけていた。
白っぽいワンピースに着替えさせ、
両手を胸の上に重ねて花を添え、顔は覆わず。
やがて来はじめたボランティアたちは
入れ替わりモオの傍に座り頭を垂れていた。
涙が止まらず傍を離れられない人も。
どんな家族のもとに生を受け、どんなふうに捨てられ、
どんな痛みや寂しさのなかにいたのか、何も我々には分からない。
最期だけでも、ここにいる沢山の人達の
心からの愛に包まれ幸せだったと思いたいが。
明くる朝、モオの居た辺りは何事もなかったかのように片付けられ、
近くには衰弱しきった女性がまた新しく運び込まれていた。


水頭症のモオ、この写真の6日後に召された。

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