笑・プラザ


OKADA'S BACKNUMBER
東京から軽井沢、長野、金沢の二泊三日の旅。
この旅で2人の頑張り屋さんに出会った。

1人目は、軽井沢で世話になった小ホテルのオーナー。

最近まで中堅商社の海外部長を務めていたが、経営が傾いて人員整理が始まると、
潔く退職して、何か人に喜んでもらえる仕事はないかと考えた末に、
ここでペンション風のしゃれたホテル経営をすることに決めた。

幸い、海外の数々のホテルを利用した経験から、
いいとこ取りして素案を作り、知り合いの建築士に頼んで作ってもらった。

ずいぶん苦労もしたが,出来てみると、おしゃれな雰囲気で、
周囲の別荘ともうまく調和して、評判も悪くない。

が、しかし、経済的には、見えない経費が大きくかさんで、収支トントンがやっと。

だから、従業員は、住み込みのアルバイトさん一人だけで、
オーナー夫婦で、何十人もの料理を作り、
レジや掃除や風呂や電話応対やらと、毎日が戦場のよう。

然し、一日の内で、不思議と空白の時間もあり、交代で仮眠休憩する。

夜中11時は、喫茶室で夫婦がホッと一息入れながら、
お互いの労をねぎらうのが日課。

「今日は、創業5周年の記念日だね」

「これまで大変でしたよね。里の親も心配して、なんでも手伝うから、
遠慮なく連絡してくれって、何度も云ってたけど、なんとか乗り越えられましたね」


「いつになっても親は有り難いね。それと、お客様は神様だし、
何組かは、リピーターになって頂けたし、こんな有り難いことはないね」


「5周年記念に、何かしましょうか」

「そうだよね、来月から新メニューにしようかと考えているし、
何か、軽井沢らしい気の利いたお土産を考えてくれると有り難いんだけど」


「わかりました。若い女性に可愛いって言ってもらえるような物を考えてみます」


多くの人達と直接触れ合い、愛され、支持される喜びは、
これまでのエリート社員時代には決して味わうことのできない奥深いもので、
これが、明日への原動力になっている。

明日も5時から始まる。


2人目は、長野市の松代大本営跡で出会った高齢ボランティア。

太平洋戦争の末期に、日本政府は、本土決戦に備えて、
地方に政府の各省や大本営を移すことを考えた。

そして、白羽の矢が立ったのが、松城町に連なる舞鶴山、皆神山、象山で、
ここに、総延長10キロ以上の地下壕を掘って移すことにした。

工事は、敗色濃厚となった昭和19年12月に始まり、
突貫工事で昭和20年8月にほぼ完成したが、
その時に終戦となり、幻の遺跡となった。

その間、多くの犠牲を払ったことは間違いない。

その後50年近くの間、この事は闇に葬られて来た。
その理由は、追い詰められた日本が
こんな事で本土決戦を考えていたと知られたら、
世界の恥になると考えられたようだ。

平成元年、長野市は歴史を見直し、
この戦争遺跡を通じて、戦争を反省し、
併せて観光資源としても活用することにして、
象山の地下壕見学を受け入れることにした。

この成り行きを見守って来たのが近くに住むAさんだった。

松代大本営を訪れる若い人達には、大本営の言葉も知らない人や、
地下壕に入って、ただ、凄い凄いと喜んでいるだけの人が多く、
追い詰められた日本の生き延びようとする苦しみや、
一方で狂気ともいえる仕業に思い至る人はいない。

<これではいかん。ただの見世物で帰ってもらっては、
犠牲を払ってもらった人々に申し訳ない。
戦争で物同然の扱いを受けた人達が、歯を食いしばって生き抜き、
今日の繁栄をもたらしたことを忘れてはいかん。
ならば、自分が、この遺跡を通じて戦争の語り部になり、
もっと深い事実や意味を伝えることにしよう。>

Aさんは83歳。
それでも毎日自転車で遺跡にやって来ては、
観光客に語りかけている。
自分は、終活ボランティアと割り切っている。



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