笑・プラザ


OKADA'S BACKNUMBER
「まあ!先生。キレイ!」

「すごく明るくなりましたね。この淡いピンクの花柄が、お部屋にピッタリです」

「有難うございます。どうぞ座ってみてください」

「ハハハハ。この椅子、お尻の所がプックリして、
 なんか少し足も高いので、私、少し浮き気味になります」

「でも、背もたれが2面に分かれて支えてくれるから、意外と落ち着きますね」

「そうですか。もう7年も使って来た椅子やソファが傷んで来たので、
 思い切って変えて見たんですよ。
 知り合いの問屋さんが、外国製を専門に扱っているんで、
 こんな、イタリー製の物になったんです。
 でも、むこうの人は背が高くて、体重もあるから、こんな作りになったんでしょうね」


「この椅子に座ったら、今までより、いい声が出るかも。ハハハハハ」

奈里美さんには、自分の音楽教室の椅子を変えるにあたって、深く心に決するものがありました。

あれからもう20年ぐらいになるのかしら・・・。
父は、大手商社の欧州駐在員として赴任し、やがてミラノ支店長になった。

日本に残った家族は、豊かな生活を送り、
年に何度も父の所に遊びに行ったし、
父の事務所には、ソファや、こんなプックリ椅子が何脚も置いてあったっけ。

だが、世界経済の暗転と共に、父の商売も、大変な事になったんだわ。

そう、父としては最初から気の進まない案件なのに、
現地の事情を甘く見た東京本社の指示で進めた商船の取引が破綻し、
莫大な損害を被ったんだ。

だから、引責辞任する形で、本社の役員と共に、
父も退職することになってしまった。

日本に帰って来た父は、憔悴しきっていて、
残務処理が終わると腑抜けの様になってしまったんだ。

それまでに自分は、音楽大学を卒業した後、
海外の新人コンテストでも、幾つかの賞も獲得出来たが、
こんな父を、なんとかして勇気づけなければ申し訳ない気がしたんだわ。

そのうち、イタリアのアリアや、カンッツォーネを弾き語りで歌うと、
とても喜んでくれてホッとしたわ。

音楽の持つ心の癒しや、鼓舞の力は凄い。
それならもっと多くの人に、こんな喜びを感じてもらえたらって、
有り金はたいて、音楽教室を立ち上げたけど、少し甘かったかもね。ハハハハ。
でも、なんとか7周年も迎えることが出来たし、これからも頑張るぞ。

今では、父も、持ち前の事業家マインドを取り戻して、
自力で商売を続けているけど、父にとっても、自分にとっても、
かっての栄光のシンボルは、あのプックリ椅子だったんだわ。

こんな思いで、今、奈里美さんは、プックリ椅子を優しく、撫でていました。
そう、こんな椅子だったわ。そっくり。ハハハハハ。
椅子さん、どうか、私や教室の皆さんを元気づけてくださいね。
奈里美さんは、何度も椅子を撫でながらつぶやいたのでした。



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