笑・プラザ


OKADA'S BACKNUMBER
「そろそろいい時間だね。じゃあ出かけようか」と高橋さん。
空、あくまでも青く。風、かぐわしく。心踊る日。
もう何十年もの間、高橋さんには、夫婦で旅行をした記憶が無い。
毎年、出張が多くて、くたびれた日常を送っていたから、
妻から何度か旅行の話があっても、
家に残しておかなければならない年寄りのこともあり、
そのうちそのうちと考えているうちに、定年が来て、
ついで老親も亡くなって、やっと自由な気分になった。
今回は、面倒な事は全部旅行会社にお任せのグループ旅行だから、
こんな気楽なことは無い。
妻は、あれこれと必見の場所や土産物を選んでいて、
随分とこの日を待ちわびていたようだ。
その筆頭が、富士山を車窓からしっかり見たいということで、
新幹線の座席も山側になっていることを、
契約の時に充分に確認していたらしい。

グループは30人ほど集まったが、見れば、殆ど高齢者で、
男性は、いかにも企業戦士として長年頑張ってきた雰囲気が漂い、
やっぱりなと感じさせるものがあった。
昔は旅行の休暇を取ろうにも、忙しくてなかなか言い出せなかったし、
今は休暇を取ろうものなら、リストラの対象にもなりかねないご時勢。
庶民の生活はまだまだ苦しい。
妻は、すぐに気さくそうな老婦人と仲良しになった。
たまたま可愛いワンちゃんの宣伝ポスターが駅の柱に貼ってあって、
二人とも愛犬家だったことで話が通じたようだ。
コミュニケーションは、ささいなことを大切にする心から発展するものらしい。

そこで乗車。なんと、「こだま」ではないか。
ところが、妻は、拍手して喜んだ。
理由は簡単。「こだま」は「三島」や「新富士」にも停まるので、
目の前で堂々とした富士山が見られるからラッキー!!・・。
車中では、妻は早いうちから、今か今かと遠くを眺め続けている。
「こだま」はそんなに早く走らないのになあ。

だが、遂に来た!
「新富士」駅。ここで「のぞみ」をやり過ごすために、なんと6分間も停車。
まるで、観光サービスのためにこんなダイヤにしたようで、JR東海も心憎い。
陽光に映える霊峰富士は、あくまでも大きく、あくまでも泰然。
ほかのなによりも、すべての人の心を引き付けてやまない。
ツアーの全員が窓にしがみ付きカメラを向ける。
中には、停車中の開いたドアから走り出て、もっと近くで写真を撮ろうとする。
仲間は、早く戻れ早く戻れ叫ぶし、とにかく騒がしい。
妻は高揚した顔を火照らせて、満足げに何度も頷いている。
その横顔をしげしげと見ているうちに、
高橋さんは、不意に胸がいっぱいになり、大粒の涙が溢れ出した、
ああ、妻には苦労をかけて来たなあ、
こんなささやかなことも今までしてあげられなかった。本当にすまない。
考えてみりゃ、妻はあの富士さんと同じぐらい大きい存在だったんだ。
一家の中心だったんだ。
自分は、頂上付近でまとわり付くあの白い雲程度の頼りないものだったかもしれない。
せいぜい、富士山の点景程度だった。
これから、一生懸命恩返しするからよろしく頼みます。

オットー。富士山は静かに見えるけど、本当は火山活動しているんだ。
いつ噴火するかもいしれん。トホホホホ。
そりゃ怖いな。噴火したら全部が吹き飛ぶだろうよ。
どうかそんなことにならんで欲しい。
うちの奥さんは大丈夫と思うけどなあ。お願いしまーす。



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