笑・プラザ


OKADA'S BACKNUMBER
「皆様、これまでありがとうございました。
先ほど、ご紹介いただきましたように、お腹に子が宿りまして、
来月が臨月になりますので、ここで、子育てに専念したく、
皆様とお別れしなければならなくなりました。
長い間、本当に有難うございました」


この小さな音楽サロンで、ちょうど10年間、
ピアノとコーラスの先生をしていた石井先生の目から、
不意に大粒の涙が零れ落ち、あとは言葉にならなかった。
レッスン最後の日に、受け持ちの生徒が集まって、心から別れを惜しんだ。
全員で10人のシルバー女性たち。
小さな花束を贈り、一人ずつ握手をしながら、シルバー生徒さんは、
自分の子供の年代の先生の背を優しくなでながら、

「元気でね」
「これから大変でしょうけど、頑張ってね」
「また、会いましょうね」

などと口々に励ましの言葉をかけた。
シルバー生徒さんは、それぞれに長い人生を歩んで来て、
苦労を共にした子供達の姿を投影して語りかけているので、
短いながらも、いたわりの心情にあふれ、重みがあった。
生徒の一人、鏑木さんは、一人娘が東京でダンスの先生をしていて、
いまだに独身なので、こんな幸せそうな人に出会うたびに、
いつも人知れず淋しい思いをしてきた。
自分も娘も若いときは、とにかく明るい未来ばかりが見えて、
精一杯に親子で頑張って来たが、娘がそろそろ体力に限界を感じ始めて、
引退の日も近いといいながら、その後が難しいと聞かされていたので、
今日はなぜか、お腹の大きくなった先生の、
どことなく晴れがましい顔を見ると、ちょっぴりうらやましくもあった。
鏑木さんは、家に帰って夕食時に、
夫に軽くこんな話をすると、夫は急にけらけらと笑い出した。

「なんとまあ、いまさらお前が、そんなこと言うとは思わなかった。
そりゃな、うちは孫がいないし、正直淋しいよ。
けど、これまで一直線で頑張ってきたんだから、それでいいじゃないか。
平凡な幸せと、世間で言う成功者のどちらも手に入れるのは、
まあ、難しいことだよね。うちはうちでいいじゃないか。
それに、どんなことにも終わりがあって、
また次が繰り返されて、最後に全部終わるだけのこと。
まあ、先生も立派な子を生んで、その子と一緒に苦労して、
何かを始めて、何かを終わって、また始めて行くだろうけど、
とにかく、なんでも終わりがあればこそ次が始められるだけのこと」


「そうですわね。いい事だって惜しまれて終わるし、
悪い事だったら一刻も早く終わって欲しいわね」


「近頃の新聞見たら、親の知らないところで
子供が誤って不祥事を起こしたりしているが、
これも、親子の関係が希薄になったせいかもしれないね」


「そんなことになったら、親御さんもさぞ心配して、
いたたまれないでしょうね」


「親が考えるのは、とにかく早く終わって欲しいの一念だけだろうね。
うちでも、そんな事にならないように、気を引き締めて行こうよ」


「あの子は大丈夫でしょうけど、
あなたの方が、うまい理屈でころっと騙されそうですよ」


「アッハッハッハッハ。
話が飛んでしまったようだけど、ハイハイ、気をつけます。
それより、今後の事を一緒に考えて行こうよ」


「しっかり頼みますよ」



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