笑プラザ


〜〜遂にエジプトにまで来てしまった。たった一人で〜〜

ここまで航空機の乗継手続きに、言葉が分からず文字も読めずなので、
神経を使ってすっかり疲れてしまった。何でこんなことを始めたんだろう。

でも、空港ロビーで、NGOコーディネーターの英(はなぶさ)さんの
顔を見つけると、もう、ほんとに安心して涙さえ出てきた。

今回は、私が日本でのバレー演技や業界の公演行事では飽き足らなくなり、
外国で技を磨きたいという話を、
国際交流協会で相談したのがきっかけで英さんと出合い、
たまたま、エジプトの国立バレエ団の主役ダンサーを世界から募集するという、
願ってもないチャンスに恵まれて一気に事が進んだ結果だった。
アパートは確保して頂いたが、3階建の屋根裏部屋なので、
なんか、アンネになったような気分になった。
ここが一番安全だと言われた。
それでも窓からは、紺碧の空と、下に広がる広場が見えるのが救いだった。

それから半年経ったが、いろいろな驚きや困惑はまだまだ続いている。
一番恐ろしかったのは、あれだった。
到着初日に眠れないベッドでごそごそしていると、
右の壁際で聞きなれない物音がする。
震える手で電気を灯してみると、突然、棚の上から、
大きな黒いものがバサッと裾の毛布に飛び降り、
アッという間に左の壁穴に消えた。  ネズミだ!!

日本ではこんなことなんか知らなかったから、
ショックで息がつまり、叫ぼうにも声が出なかった。

もう、震えがとまらなくなり、夢中で枕元の電話機を掴んで
日本の母を呼び出そうとしたが、まるで通じない。何度やってもダメだった。

その夜はまったく眠れず、あくる日に英さんに、
青白い顔で半泣きで訴えると、キャーキャーと大笑いされた。
いつまでも笑い転げているので、そのうちにこっちまで少し可笑しくなって、
やっと気持ちが平静に戻った。

とにかく怖い経験だったと今でも思っている。

バレエ団でのレッスンは、世界各国から一流のダンサーが集まっているので、
凄くレベルが高く、1年の契約では1日に15時間以上も練習しなければならない。
それは苦にならなかったが、やっぱり言葉の壁は厚く高い。
日常生活は片言で何とかこなせるが、コーチの微妙な要求や演技指示は、
必死になってこなさないとついていけない。
こんなとき、いつも親切に助けてくれるのはアンドレアだった。
イタリーに戻れば一流のダンサーとして認められる実力者だった。

休憩時、レッスン仲間の雑談で気付いたのは、BOPという言葉が、
気安く、時には冗談めいてしきりに使われていることだった。
BOPは、所得格差の最下層を意味するから、
みんな、世界で認められるダンサーになって、
いまのBOPを抜け出そうと、励ましあっているようだった。

これは驚きだった。
ここにいる人達は実力者ばっかりだし、経済的にも余裕があると思っていたから、
国際的な一流のスターも、こんな生活を経験して来ているのかと知って、
厳しさに身がすくむ想いだった。

それを知ってから、さらに芸の完成度を高めようと、
練習には必死と言っていいほど熱心に取り組んだので、
徐々に自分に対する評価が高まっていくのを実感できた。

だが、今になって、ますます苦しく息苦しく感じられるようになってきたのが、
言いようのない孤独感。
コーチやダンスのパートナーには、こちらの思いをもっと細かく伝えたい。
それが出来ないから、時には誤解されて機嫌を損ねることもある。
そんな時は悲しいし、悔しい。
この頃、前よりも枕を濡らす夜が増えてきたかもしれない。
でも、この苦しさを母に電話で伝えるなんてとても出来ない。
電話しても、「おかあさん元気? こっちは大丈夫よ・・・」が決まり文句。

・・・涙が止まらないときは、出発に当たって母が指に嵌めてくれた指輪を
何度も何度も撫でている。指輪を通じて心で会話をしていると思うと、
不思議と涙も止まるから、これは魔法の指輪だ。・・・

そう、そう。 アンドレアは、毎月の発表会で、私が舞台に出ているときは、
魔法の指輪を両手に捧げ持って見守っていてくれる。
指輪は私の命と同じぐらい大事なものだとわかってくれているからだ。有難う。

とにかくいろいろあったけど、今日のビッグニュースは、
3ヶ月後に国立オペラハウスでの公演で、
なんと、私はフランスから来た優秀なシェリーと交代で、
主役をこなすように命じられたことだ。

これを母に伝えたら、もうムチャクチャ弾んで声で、
おめでとう、おめでとうって電話口で叫んでいた。
最後はしゃくりあげて泣くから、こちらまで泣いてしまった。
もう、めそめそするのはやめよう。
辛いときは紺碧の空を眺めながら、魔法の指輪を撫でよう。
自分で選んだ道だ。やり遂げるまでだ。




▲このページのTOPへ