笑プラザ


〜〜今年も終わりだ。店も終わった。自分も終わるか〜〜

山本さんは高級居酒屋営んで50年。
一人息子はアラブプロジェクトに関連するNPOのリーダーとして
中東諸国やロシア、日本を駆け巡っているので、
1年に数日ほど顔を合わせるのが精一杯というほど忙しい。

傍からみれば仕合わせに見えていた家族も、
3年前に奥さんが亡くなってからツキが落ちたようで、
不景気も重なって俄に店が傾き始め、
借金の返済に店を手離さなければならなくなりました。
この頃山本さんは、もう、生きていくのも嫌になるぐらい落ち込んでいます。

でも、けじめだけはつけておこうと、お別れパーティを開くことにしました。
当夜は最後の営業ということで、長年贔屓にして頂いたお馴染みさんを招いて、
飲み放題、食べ放題の謝恩パーティです。

口コミだけの招待だったので、何人来るか心配でしたが、
なんと30人も来店し、狭い店内はごったがえしの有様。
山本さんと、開業以来頑張ってくれた昔娘のマリーさんに、
この日に合わせて帰国した息子の3人では、到底手が回りません。
見かねたお客さんが、みんなが自分流のカクテルを作って配ったら、
変わった味で面白いんじゃないか?
なんて気の利いた提案をしてくれたおかげで、
3人は小料理作りに励むことになりました。
ありったけの高級食材を使うので、見るだけでも豪華なお皿が次々と配られました。

久しぶりに懐かしい顔を合わせた客たちは、お互いの健康を喜び合い、
肩を叩きあい、大声で笑いあっています。

その中で、奥まったところに、奥さんと一緒に静かに
雰囲気を楽しんでいる上品な白髪の紳士がいました。
不動産会社を経営する中林さんで、開業以来の常連さんだし、
山本さんが何かあると相談に乗ってくれた大恩人です。

今は、噂によると、かなり重いガンを患っておられるようで、
経営は息子に任せ、短歌やクラシック音楽を楽しむ余生を送っているとか。

店の向こうで、人一倍陽気な身振りで、ドッと笑いを誘っているのは福崎ジュニア。
福崎さんが高級ブテイックを営んでいて、
代替わりをするときに連れて来てくれた子でしたが立派に成長したようです。

そう思ってみると、ジュニアの参加もあちこちに見られ、
過ぎた年月が、あらためて思い返されるのでした。

遂に閉店時間となり、山本さん、息子、マリーさんの3人がお見送りの立礼をしていると、
客全員が、有難う、体に気をつけてな、頑張って、などと声をかけては、
握手したり肩を叩いたりして、名残惜しそうに去ってゆきます。
見送る山本さんとマリーさんは涙が止まりません。

終わりました。午前2時。
3人はどっと疲れが出て、ソファに沈み込んでしばらく動けません。
宴の後の寂しさに今度ばかりは悲しさも加わって、
目を開けているのも辛いほどでした。

やがて息子が、テーブルに取り散らかされた器や酒瓶などをのろのろと片付け始めました。

そして中林さんのテーブルに行ったとき、

「おい! おやじさん! これ見ろよ!」

大声で息子が叫びながら、飲み物のコースターを急ぎ足で持ってきました。

そこには、中林さんの几帳面な確りした字で、こう書かれていました。

“めげるな 逃げ道は前にしかないぞ”

―――山本さんは一瞬にしてその意味を悟りました。
そうか! 中林さんは、ご自身がいつ死ぬかもしれない身で、無理して来てくださり、
最後の最後まで自分を勇気付けてくださったんだ。

自分が過ぎたことを悔やんでこれで終わりだって、
後ろ向きにばかり考えている様子を見抜いておられたんだ―――。

「おやじさんよ、このとおりだぜ。ついでにな、参考に聞いてくれよ。
 自分が仕事してる中東の国は、いつ死ぬかもわからん戦争や病気や、
 食料不足に苦しんでる人も多いんだ。
 そこじゃ明日の希望どころか、今をどうするかに疲れ果てていても、
 人々は生きているんだ。とにかくもっと食べたい、楽になりたいって、
 もがいているとも云えるんじゃないかな。
 それにくらべりゃ、店が潰れたって売り払って借金返したらチョンだろ。
 これで人生全部がパーだなんて考えたら情けない。
 それにな、どんな歳になったって、人と助け合ったり、
 人に喜んでもらえる事はいっぱいあると思うよ。逃げ道は前だけだなあ、ほんと。」

山本さんとマリーさんは、ただ黙って何度も頷きました。
歳老いて二人とも心が弱くなり、明るいことより暗いことへの
感受性が強くなっているのを感じていました。
でも、息子の演説で、二人の目には、寂しさに代わって、
なにかふっきれたような光が戻って来ました。

〜〜息子も大きくなったな。中林さんの所へお礼に行ってみよう〜〜

〜〜息子さんも立派になられた。
  私は、さしあたりデイケアセンターのお手伝いでもしてみようか〜〜





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