朝から、市の広報車が、喧しく町内を走り抜けて行きます。
「本日は・・、全市一斉の地震避難訓練の日です・・・・・・・」

<ああ、やっぱり大地震が来るんかな。この歳になってなあ、もう>

林造さんは、痛む腰をさすりながら、ゆっくりと玄関に向かいました。
家には誰もいません。子どもがなく、奥さんとは数年前に死別しました。
町内会が決めた避難場所は地区の小学校でした。
自宅から2キロも離れています。
林造さんは、パラパラと集まってきた人々の後ろについて歩き始めましたが、
日頃の近所付き合いがほとんど無いので、誰も気に留めてくれません。
黙々と辿るコースは意外と複雑で、急な坂が長く続いたり、舗装が傷んでつまずいたりします。
林造さんは、ため息をつきながら、二度も三度も休んで、やっとの思いで学校に辿り着きました。
道々で考えたのは、

<こんな思いで逃げ回るなんて、みんな、やっぱり死ぬのが怖いんだろうな。
本番だったら、百倍もしんどかろうに。誰も助けてはくれないだろうに。
来年になったら、自分も日本人の平均寿命に届くし、もう、充分に生きたような気もする。
いっそ、地震でひと思いに死んだほうがましかなーー>


年齢相応に、暗い考えになるのもやむをえないことです。

会場には、すでに何百人も詰めかけていました。
不思議なもので、若い人は若い人同士、年寄りは年寄り同士で屯しています。
林造さんは、なんとなくその間の辺りに座り込みました。
――いろいろな話が聞こえてきます。
若い人は子ども連れの人も多いので、やっぱり子どもを意識した話が多いようです。
百日咳のこと、保育園の送り迎えのこと、お受験のこと、食物の安全のことーーー。
そんな、他愛のなさそうな話の中で、林造さんが、キッと耳をそばだてるものがありました。

「結局ねえ、役所の考えだったら、いざというときは手が回らないから、
自分で自分を守ってくださいということでしょう。
そりゃ、自分の家が燃えている職員さんに、無理なんか言えませんよね」

「そうよね、でも、こんな小さな子どもだったら、親だけが頼りよね。
わたしだったら、自分の命を犠牲にしたって、この子を守るつもりよ」

林造さんは、フッと胸をつかれました。

<おお、今の世の中、捨てたもんじゃない。
やっぱり子を思う強い親もいるんだなあ、それにくらべりゃ、
子がない自分は、自分のことしか考えてなかったから、淋しい気もするなあ>



訓練後、1週間経って回覧板が回ってきました。
そこには、避難訓練の体験から、避難場所やコースの無理を感じた町内会長が、
自分で訪ね歩いて、町内のめぼしい建物や公共機関に頼みまわり、
新たに約束した緊急避難施設がしっかりと一覧表になっていました。
そこには、なんと、林造さんの家から目と鼻の先にある、がっしりした寮も含まれていました。
そこの管理人のおばさんとは何度か話をしたこともあります。
これを見たとき、林造さんは急に胸の風通しが良くなるのを感じました。
それは、ホッとするとともに、
なぜか、見えない糸で人々の善意につながっているような、不思議な安堵感でした。

<ウーム、町内会長もやるなあ。
こんなに、住民のために一生懸命気遣ってくれてるとは思わなかった。
彼は、自分と歳もあんまり変わらないはずだが・・。
ウーム、そうか、自分は毎日、淋しい淋しいという思いだけで、
自分の殻に閉じこもっていたんだなあ。
年金もらって、弁当配給してもらって、ただの厄介者になってしまった。
これじゃいかんわな。体が動くうちは、なんか、世間様のお役に立つ事せにゃ
申し訳ないような気になってきた。さーて、どうするかなーー。
どっちみち、今の人生、付録みたいなもんだから、道路のごみ拾いでも始めてみるか。
それより、いつかお世話になるかもしれんから、寮の周りの草引きでもしたらいいかもな。
それになあ、その時どうなるかわからんけど、イザという時に子どもが難儀してたら、
この体犠牲にしてでも救ってやろう!もう、おまけの命だから、怖いものなし!!
もっとも、反対になったらえらいこっちゃが。ハハ >


ホントに、ホントに、長い間忘れていたヤル気のようなものが、
林造さんの心に蘇えったようです。
▲このページのTOPへ