淡路島沖、遠い島並を眺める釣り船で向き合う二人。ジョーさんとマッチャン。
もう40年にもなろうかというほどの、長〜い釣り友達。

今日は年末恒例の二人だけの大名釣り。親戚同然の老練船頭のキャビンつき釣船を借り切って、
手ぶら乗船、漁師料理つき、生け鯛のおみやげつきで、
そりゃ、もう、こんな贅沢気分がほかにあろうかというお楽しみ。
釣れて良し、釣れなくて尚良しの気分ですから、竿捌きよりも、話に身が入ります。

「こんな贅沢できるんのも、周りがみんな幸せだからやのう。みんなに感謝せにゃならんな」

「ほんま、有難いこっちゃ」

「ところでな、話のついでやけど、今年ゃ、むちゃくちゃ暑かったろうが。
 その真っ最中に、徳島へ用事で行っとったんや」


「それがどうした?」

「ホテルがな、市内を流れる吉野川の畔にあってな、川岸にゃヨットがずらっと並んで
 面白そうやから、日が沈んでから家内と散歩に出たんや。そしたらな、少し離れた所から、
 阿波踊りの鳴り物の音がしてくるんよ。自慢やないけど、この歳になるまで、ナマの踊りなど
 見たことがない。そこで、いそいそとそこへ行ってみたら、
 わりと大きな桟橋の上で、30人ほどが調子よく練習しとった」


「珍しくなんかないやろがな」

「話はこれからよ。その連からちょっとこっち寄りに安全柵があって、そこで若い夫婦と
 二人の女の子が、いたって自然に、いたって楽しそうに踊っとった。
 聞けば、3歳と1歳の女の子だそうだ。父親が連の調子に合わせて笛を吹くとな、
 まるで蝶が舞うようにヒラーリ ヒラーリって踊っとる。上の子なんか、
 大きく足を踏みだしたら、片方の足でヒョイと腰を支えて、上げた手のうちわを
 クルリクルリ回して、踊りまわっとるんや。1歳の子は母親と一緒に
 うちわを振って喜んどる。こっちも一生懸命に拍手したら、3回もまわってくれたんや」


「そりゃ、かわいかったろうな」

「いやな、言いたいのはこれからや。どう言ったらいいかなーー。あのな、簡単に言うたら、
 とにかく、しっかりしたふるさとがあって、そこの伝統に、すっかり染まって、
 温かい親の愛に包まれて育ったら、大人になったって、その子にはいつでも帰れる
 精神的な港があるやろが。こんな幸せなことって無いんと違うか」


「なんや、今日は、えらく教育的なことを言うやないか。そのとおりやろな。
 ――ところでな、話聞いて、思い出したことがあるーー。ちょっと聞いてくれるか」


「うん」

「これもな、中年夫婦と男の子の話よーー。今の話とは反対に、
 ガチャガチャした都会で一生懸命に生きる家族の話なんや。
 あのな、父親は、田舎を逃げるように出てきて、都会の片隅に住み着いた苦労人でな、
 今は、観光人力車を曳いて一家の生計立てとるんや」


「珍しいな」

「なんでも、観光人力車は、全国に500台ほどあるらしい。軽車両扱いやが、
 交通の規制は受けるやろな。1回30分の営業やが、楽ではないやろ。
 それでも、オレ、女房と一緒に乗せてもらったことあるんや。
 これも、暑い夏の日やったなあ」


「楽しかったか」

「ウン、実物はすごく迫力あるぞ。デカイしな。――それはそれとして、走り始めて、
 ニコニコしてまわり見てたら、急にハッと胸をつかれたような気分になったんや。
 それはな、横の歩道をな、ちっちゃい自転車で、一生懸命に、一緒に走る男の子に
 気がついたんや。聞けばそれが息子だそうだ。背中を丸めて走る父親と、
 これも前かがみで自転車漕ぐ息子――。もう、なんか申し訳ないような気分に
 なってしもた。そりゃな、息子は、ただ面白がって走っとったんかもしれん。
 途中で母親が、労わるように、お茶を飲ませとったけどな。
 しかしな、こんな子もやがて、いろいろと考えるときが来るやろ。
 父親の汗まみれの背中は、目にずっと焼きついてるんとちがうか。――そやから、
 こんな子には、やがてな、強くて立派な人間に育って欲しいと祈りたいわな」


「うん、そう思うな。やっぱり、親子がしっかり結びついてるのを見たら、
 どっか、グッとくるもんがあるな」


――船頭さんから声がかかりました。「料理できたよ。食べてよ」――

老船頭には、苦しい漁師家業に見切りをつけて、早々と東京へ巣立った一人息子がいます。
二人に料理を並べるその目には、遠い息子を想ってのことでしょうか、
なにかきらりと光る雫が宿っていました。

▲このページのTOPへ