「あれー! おかしい! あなた、ちょっと来てよ!」
緑濃い森の傍の、暖かい日差しに包まれたリビングで、ゆったりと食後のコーヒーを
楽しんでいたお父さんの耳に、奥さんの甲高い声が聞こえました。
ム! なにかあったかな! お父さんは、ピクンと立ち上がると、
突っかけ履くのももどかしく、あわてて奥さんのところに駆け寄りました。
見ると、奥さんは、庭の真ん中を指差して、少し怯えたように立ちすくんでいます。
「どうした! なにかあったの!」
庭は、キレイに白玉石とカラーコンクリートで舗装されていて、
いかにも、郊外の中産階級の、居心地のよさそうな佇まいを演出しています。
その庭の、奥さんが指差すところには、庭掃きの棕櫚箒が横たわっています。
「箒がどうなったって?」
「あなた! あの箒ね、昨日使ったんだけど、ちゃんと物置の横に立てかけて
 置いたのよ。それなのにあんなとこにあるなんて。実はね、おとといも使ったあとで、
 ちゃんとしまっておいたのに、ああなっていたの。なんか、気味が悪いわ」

「おい、おい。妙なこと言うんじゃないよ。そんなに気になるんだったらーー」

お父さんは、少しビクビクしながら箒に近寄ると、腰が引けて、
とても触る勇気がないという格好で、ジーっと眺めました。
今にも、箒がピョコンと立ち上がって、ワッともたれかかったらどうしよう。
  ――するとーー
「なーんだ。わかったよ」 気の抜けたような明るい声です。
「だいじょうぶ! 変なことないの?」
「ウン。来てごらん。――でも、すごいなー。これね、カラスのしわざさ」
「カラスですって? どうしたの」

奥さんは、ほっとした様子で、お父さんの横ににじり寄りました。
「これ見てごらんよ。棕櫚のヒゲが落ちてるだろう。
 これはね、森のカラスが巣作りの材料に、箒から引き抜いて持ち帰ったんだろうね。
 今は4月だし、子育てに必死なんだろうね。箒の隅のほうなんか、ひげが薄くなってる。
 おそらく、何羽もきて、ワッセワッセって箒を持ち出したんだろうね。ちからあるネエ」

「なーんだ、そうだったの。カラスの親は大変ね。
 それだったら、箒はこのままにしておきましょか。好きなだけどうぞってね」


二人は、庭の小さなベンチに仲良く腰を下ろすと、あらためて、横たわる箒を眺めました。
庭の木々の緑が新芽で彩られ、風もない平和境。
奥さんは、カラスの巣作り努力を目の当たりにして、妙におセンチな気分になりました。
――雨が降ったらどうするんだろう、生まれた子どもは濡れて寒いだろうな。
おなかも空くだろうし、カラスの夫婦は助け合うんだろうか。
カラスの一生には、どんな楽しいことがあるんだろう。――

いつの間にか、自分とカラスを比べて、横のお父さんの温もりを感じながら、
小さくともきれいな家を眺めて、アア住む家があって、愛する夫が居て、
おまけに可愛い孫まで居るなんて、こんなに幸せ真っ最中だなんて、申し訳ないぐらい。
この間も、孫のピンちゃんなんか、居間でCDをジャカジャカ鳴らして、
なんて言ったっけ、なんか、サランラップ(?)とかいうリズムとかで、
トンチャ、トンチャ、パラパラ、ノリノリって、ストリートダンスを
自由に踊りまくったのには、本当にびっくりして、あまりに自然で可愛いので、
みんなダイバクショウで、涙が出過ぎて苦しすぎて、
もう、どうでもいいほどだったわねえ。
「あのねえ、どうしたの? 一人で笑い出したりして。なにがおかしい?」
奥さんは、笑い顔をつくろうともせずに、お父さんを見つめました。
「あのね、カラスに負けないように、わたしたちも頑張りましょうね。よろしくね」
「ウ、ウン。そりゃそうだよね」
 
仲良し夫婦に理屈なんかありません。心の会話で充分。
三日後には、棕櫚箒のヒゲはきれいになくなって、箒の金具と柄だけが残されていました。

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