大溝さんと矢守さんは肝炎仲間です。
いまや有名なC型肝炎の、堂々たる患者です。自分達で、そんな風に言いあっています。
大溝さんは、工業薬品の中堅メーカーを経営し、矢守さんは大手企業の、IT技術責任者でした。
全然、畑の違う二人が出会うきっかけは、C型肝炎の集団訴訟がまとまったことで、
これが引き金になって、患者全体300万人ともいわれる人々の、
救済申し入れ団体を作ろうという呼びかけを受けたことでした。
以来、時々逢っては、お互いに慰めあったり、励ましあったりしていました。

どちらも70歳以上ですが、特に、矢守さんは大変な知識人で、チョコレートに詳しく、
ワイン通で、さらに、世界の歴史にも詳しくて、毎年1回は、奥さんと世界各地に旅行しては、
紀行文の中に、そこの紀元前からの歴史を克明に書き記すほどの入れ込みようでした。

ある、寒い寒い日、矢守さんはベッドでひっそりと息を引き取りました。
翌月の定例歴史勉強会に出席の連絡をしたままでした。
あまりに突然、あまりにあっけない死でした。
弔問の席でも、その優しい人柄や、裏と表のない誠実な人柄を惜しむ人が多く、
やっぱり、善人ほど早死にするのかとささやきあっていました。
こういう人は、自分は善人でないから、早死にはしないだろうと期待しています。
後で聞いたことですが、肝炎で免疫力が落ちているところに、風邪を引いて、
それから急性肺炎になったのが原因らしいということでした。

訃報を受けた大溝さんは、ショックで、その日一日は社長室に引きこもったままでした。
折悪しく、経営環境もすごく厳しくなっており、ここのところ、
気持ちも体調も万全ではありませんでした。
息子の専務が報告にやって来ても、まるでうわの空の受け答えです。

―――そうか、矢守さんは、あんなに体を大事にして、
治療に励んでいても、やっぱり駄目だったとはなあ。
考えてみりゃ、矢守さんは、自分の寿命をうすうす予感していて、
海外旅行や歴史研究で人生を急いだのかもしれんな。
それにひきかえ、自分といえば、毎日がむしゃらに働いてるだけで、
これでいいんだろうか。
自分の会社だから、意地でも潰すもんかという執念だけで頑張ってきたけど、
これでいいんだろうか。趣味もなければ楽しみもない人生―――。


大溝さんは、急に、身辺整理を急ぎたくなりました。
心と体の負担を減らして、もっともっと、青く澄み渡った空や輝く雲を、
もっともっと長く見ていたいと思いました。

―――急に社長辞任を言い出したら、お得意様や従業員や銀行などが
大騒ぎをするだろう。しかしなあ、息子の専務だって四十過ぎてるし、
ちょっとした社内パニック状態のほうが、求心力が高まるかもしれん。
いいチャンスだろう。
外から、それ以上の人が出てきたら、それに任してもいい。
これまで、対外的には、少しでも弱みを見せないように頑張って、
元気そうに大声で挨拶したり、語り合ってきた。
時には、部下の失敗にも、心の痛みも隠して、自分が率先して解決に奔走してきた。
その度に夜を迎えてからの、はげしい目まいやふらつきも、
薬を飲んで必死に抑え込んできた。

しかし、もう、自分の心の糸が切れた。
もう、居てもたってもいられない。もういい。虚勢や無理はやめる!

しかし、こんな迷惑かけてまで、自分は何をしたいんだろか。
そんなこと今はわからん。
すぐ思うのは、長い間苦労して、陰で支えてくれた女房にゃ、最大限の
お返しをしたい。矢守さんの海外旅行は、奥さんへのお礼だったかもしれないし、
奥さんからの励ましだったかもしれん。
もういい。心と体を楽にしたい。もう、いいーーーー。


<もう、いいですよ。大溝さんは、立派に頑張ってこられました。
猫背の後姿には、男の意地とともに、少しばかりの哀しみさえ漂わせていましたね。
唄う演歌は、なぜか悲しいものばかり。
今の気持ちは本人でなけりゃわからないですよね。
どうか、これからは、自然体で病気とうまく付き合って、
納得できる人生をお送りください。奥さん孝行の毎日になるんですか?>


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