「おはようございます。ホリエさん」
「ハイ。おはよう、シンちゃん。きょうも元気だね」

毎日、毎朝。太陽が、その日最初の光を配り終えて、ポワポワと温かさが戻る頃、
いつもの出会いと、いつもの挨拶が交わされます。

シンちゃんは、高卒間もない若者で、介護施設に勤めながら、もうひとつ、
障害者自立支援センターの応援スタッフもしています。

センターには、大手の宅配業者が、付近の品物を一括して届けてくるので、
それを、障害者が一軒づつ配って回ります。この手数料がセンターの収入になります。

それには健常者の手助けも必要で、シンちゃんはこれを応援してます。
だから、気疲れもひどくて、そんな、もやもや気分を吹き飛ばそうと、
シンちゃんは早朝ジョギングに精を出しています。

シンちゃんは、すっごく優しいんです。
ソフトで控えめな声に、若々しいその笑顔を見たら、いまどき、
こんなに温かい雰囲気の若者が居たんだなあって、感心してしまうほどです。

シンちゃんが、タッタッタッタ と走り去ると、
ホリエさんは、いつもの仕事に取り掛かりました。

ここは、明るく開放的で、緑豊かな住宅地。
そちこちの通路は、たっぷり広いので、桜の古木が10メートル間隔で茂っています。
春先の桜花爛漫の景色は、あまりにも見事なので、
テレビでも何度も放送されてきました。

その、桜の木々の間には、道路端に住民の手作りの花壇がしつらえられていて、
そこは、四季おりおりの草木で飾られています。
この町でも高齢化や少子化が進んでいるので、花壇もホリエさんと一緒に
歳をとりましたが、むしろ風情がでてきて、町の景観に重みを添えています。

ホリエさんは、90歳を過ぎましたが、身寄りもなく、女の一人暮らし。
経済的には心配ありませんが、やっぱり最大の心配は健康です。
だから、外で、気兼ねなくマイペースで体を動かすのは、
とてもいいことのように思って、この花壇を手入れするようになりました。
なにより、散歩の方々は、「いつも有難うございます」と
敬意をこめて挨拶してくださるし、おいしいお菓子を一緒に頂くことも
あったりして、気も安らぐし、いいことづくめみたいーー。

ホリエさんは、昨日の続きで、病葉を取り、小さなごみも取り、
キレイな花に話しかけ、小さな袋の中から、肥料をちょっぴりつかみ出しては、
根元にそっと埋めます。休み休み無理せず1時間ほど。散歩のワンちゃんは、
尻尾をちぎれるほどに振って駆け寄り、ホリエさんから頭を撫でてもらうまで
離れようとしません。獰猛そうな大型犬でも、
ホリエさんが抱きついたりするんですから、みんな感心してしまいます。

さ〜て、このホリエさんには、ず―っと深い思いがあるんです。
それはですね、まず、ホリエさん自身のことなんですけどね。

<自分の歳なら、何があってもおかしくないけど、一人暮らしだから、
誰にも気付かれないでさよならするのも、なんか怖いような気がするねぇ。
それだったら、いつも人目に触れるようにしましょうか。
毎日、花壇に来るのもいいでしょう。
ある日、姿が見えなかったら、どなたかが気づいてくださるでしょうから。
なにより、シンちゃんは頼りにしてますよ。
シンちゃんには家の鍵も預けているし、そのときは、どうかお願いね>


ホリエさんの、もう一つの考えなんですけどね。
自分になにかあったら、長いことお世話になったこの町にも、
なにかお礼をしたいと思ったんですね。

<この町は、花や緑に包まれた、とてもいい町。
これから、子供たちにもずーっと、こんないい環境を残したいわね。
いろいろ考えたけど、すぐ近くの林で、毎年、たくさん落ちるどんぐりを
拾ってきて、肉付きのいいものを一列に埋め込んで育てたら、
うまくいきそう。1年以上したら30センチも伸びるし、
根っこも同じ長さで地中にまっすぐに伸びるから、ともかく、この苗木を、
子供たちに、あちこちに植えてもらって、それで緑が深まったら、
まあ、わたしの、最後の社会貢献になるでしょうね>


なにかに気づいて、今後の生き方をすっぱりと割り切れたホリエさんの顔色は、
見るからに輝いて、とにかく、清涼感に溢れています。
それから、内緒ですが、ホリエさんは、シンちゃんのために、
遺産を分け、町内会にも、それなりのものを残す手続きを済ませました。
あとは、大きな手に委ねて自然体で行こうと決めています。

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