父・鴻巣一善の絵

鴻巣 理



白流

作者:鴻巣一善
題名:「白流」
形態:
材質:
画面:幅 約180cm、高さ 約180cm
作年:1947年(日展入選)
目録番号:G03(仮)



美術展の歴史には詳しくないが、
先の終戦以後「帝展」(帝国美術院展覧会)とか
「文展」(文部省美術展覧会)とかの名称がなくなり
「日展」(日本美術展覧会)になった。
昭和21年に第1回、第2回、
同22年に第3回が開かれたようだ。

昭和20年、戦災で無一物同然になって
郷里に戻った父は生活を立て直すことから
始めなければならなかった。
祖父(徳太郎)の計らいで、
地区の知り合いを集め画会
(絵の予約頒布会のようなもの)を開いた。
郡会議員を勤めたと言う祖父の威光によって
我々は救われたようである。

どうにか生活のめどが着いた昭和22年、
父は秋の日展を目指し制作を始める。
会津の山中での写生を素材に
岩を這う渓流の絵を描いた。
兄たちの話では、このために銀粉を焼いた
特別の絵の具を作ったそうである。

当時、空き家の半分を間借りして生活していたので、
父が仕事を始めると家の中に
我々子供達の居場所はなかった。
夏の間は、仕方なく開け放した
北側の狭い廊下で遊んでいた。

ある日、父はぶつぶつ言いながら
ほぼ出来上がった作品の一部を修復していた。
小さなナイフが絵の上に落ちていたと言うのである。
そのナイフは次兄が学徒動員時代に
鋼材の切れ端で作って来たもので、
なかなか切れ味の良いものだった。
どういう拍子で絵の上にナイフが乗ったのか
追求を覚悟したが、それはなかった。
今以って不明な小事件である。

この絵は丁度畳2枚分ほどの大きさがあり、
これを東京まで運ぶのに工夫が必要だった。
当時列車による貨物輸送しかなかったので、
結局絵を剥がし枠をばらして運び、
会場の近くで再び枠組みし貼り直したようである。
その後、大きな絵を運ぶ話は聞いていない。
現在、この絵は埼玉県在住の兄の家にある。

以後日展の入選作はないが、
各所に寄贈された作品を見ると、
人物を対象にした作風に変わって行ったように思える。




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